2017年01月26日

野党選挙共同で問われるもの

2017年1月26日付の朝日新聞朝刊に一橋大教授の中北浩爾氏が「野党共闘 問われる本気度」を寄稿されています。中北氏による指摘の最後の「もしも野党が政権交代への道筋を見出し得ないのであれば、小選挙区制の見直しを含む、新たな政治改革を提起するしかない」の「小選挙区制の見直し」に私は大いに賛同するものの、「政治改革」の提起に至る考え方などには賛同できません。

中北氏は選挙における野党共闘の意義について、「この問題が重要なのは、1994年の政治改革が衆議院の小選挙区制の導入を通じて目指した『政権交代ある民主主義』が、日本で定着するか否かに関わるからである」との見解を示されています。短い文章ですが、小選挙区制をある程度は容認しているものと思われます。

しかし、そもそも選挙制度は平等な国民主権を保障するための手段であり、政治改革の手段でも政権交代を促すための手段でもありません。選挙制度は政治改革の領域ではなく憲法の領域に属するものです。憲法があるだけでは機能しない立憲主義を機能させるために実効的な国民主権を保障するための法制が必要なのであり、選挙制度はその最たるものとなります。主権者が選挙を通じて院内に最大の政治的影響力としての国民主権を確保して立法権の制御力を持ってこそ、立憲主義が機能するというものです。

誰が判断するのか分からない「良い政権交代」が実現するのであれば平等な国民主権を保障しない小選挙区制でも構わないという考え方なら、賛成できません。「良い政権」をあえて定義すれば、院内に平等な国民主権を保障するような選挙の結果として平等な国民主権の審判をくぐり抜けた政権となります。

中北氏は、民進党との政権合意のためには共産党の「過度に反米的で反大企業的な綱領」の改訂が必要であり、「共産党も本気で自公政権を倒したいのなら、『野党共闘に独自の立場を持ち込まない』という小手先の柔軟対応に終始せず、路線転換にまで踏み込まなければならない。『政権交代ある民主主義』に向けた新たな扉を日本政治が開けるか。それは共産党の覚悟にかかっている」と主張されます。

共産党は当面の野党連合政権において綱領レベルの目標を凍結する旨を明言しており、共産党の綱領は政権合意の妨げになりません。野党選挙共同で必要なのは、与党との政策の差別化および野党内での結集軸の最大化です。変わるべきは昨今の沖縄・高江の現状などに一言も触れず、過度に従米的な民進党の方針です。本気度が問われ、路線転換を求められるべき相手は、民進党の方でしょう。

現在の野党選挙共同における限界は、民進党があくまでも政策的差異のあまりない自民党を相手方とする二大政党制を希求していることに原因があるのです。さらに言えば憲法の上に日米安全保障条約を置く体制を維持したいという一部野党の願望にあります。端的に言って本気の野党らしさで結集できないこと。

同じ党内に原発賛成と原発反対の議員が同居し、政党の体をなしていない政党に、有権者は情熱を傾けることはできません。小選挙区制が選挙互助会政党化を促すがゆえに民意の受け皿機能が正常に備わっておらず、民主主義が機能する前提が弱すぎます。現在の日本政治に求められているのは政策本位で結集した政党の創生であり、それを成し得ないままに空回りの政権交代だけを追求し続ければ、日本政治の生きた屍状態が続きます。「民意の反映なき政権交代ある民主主義」に意義はありません。

選挙制度をいじくって政治改革を行うという政治改革詐欺から20年以上も経ちました。これがなければ退潮すべき政党は退潮し、もっとマシな政党構成に移行していたことでしょう。選挙制度を政治改革の手段に矮小化する策動はもう止めにすべきですが、選挙制度(小選挙区制)によって平等な国民主権が棄損されて(2015年安保関連法が成立せずとも)立憲主義政治が浸食されている状況は一刻も早く克服するべきです。

市民運動はくれぐれもこの種の政治改革詐欺に手を染めるべきではありませんし、野党選挙共同においても野党を与党寄りにすることに血道を上げないよう注意する必要があります。


太田光征
posted by 風の人 at 20:20 | Comment(0) | TrackBack(0) | 一般
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