2013年12月09日

報道特別番組「A級戦犯の声〜開戦の日に問う」(2013/12/8)

「戦時中も大阪人の気質があり、大阪の部隊は大本営も前線につぎ込まなかった、大阪は自分の命も大事と、国家に従っていてばかりではない、シビリアンの大阪人の考えを、日本全体が学ぶべきと保坂さん言われました。国家が財産を没収して戦争にすることに抵抗するのが大阪人にあったのです。」



 永岡です、MBSラジオの報道特別番組、開戦の日に問う、今回も水野晶子さんの司会で放送されました。コメンテイターは、ノンフィクション作家の保坂正康さんです。A級戦犯の方4人の皆さんのお話です。

 72年前の今日、日本は真珠湾攻撃を行い、太平洋戦争に突入しました。その中の、A級戦犯の声を追うのです。保坂さん、歴史の証人に取材し、開戦の日、保坂さんは生まれて1歳、歴史では政治が失敗して軍事の動いた日であり、政治は外交交渉、これが失敗して戦争になったのです。そして1945年敗戦、連合国が戦犯を裁き、保坂さん、A級戦犯とは、クラスではなく、日本が戦争に負けて、マッカーサーの裁判で第5条にて裁判の仕分け、A、B、Cがあり、Aは平和に対する罪、侵略行為のことであり、B級は当時国際社会に戦争法規があり、それの違反。C級は人道、人間として許されないことをした人を裁くのです。100人条逮捕、28人起訴、よく知られているのは、東条首相が死刑、起訴された28人、アメリカの政策転換で釈放され、その中に安倍総理の祖父、岸総理もいて、政界に復帰したのです。

 この中で、終身刑を言い渡され、釈放された人の声で、1955年のもの、A級戦犯の、戦争への思いです。

 まず、荒木貞夫氏、軍国主義教育を進めた人で、東大でも進め、荒木氏、ルーズベルトの誘導に落ちて侵略ではないというのです。保坂さん、事実誤認はジリ貧とは東条ではなく、海軍がジリ貧といい、東条氏はこれを追認した。ジリ貧とは、日本がアメリカの石油禁輸(8割をアメリカに依存)により、国家が1年しか持たずなら戦争だとなり、しかしアメリカの石油禁輸は、フランス、イギリスの植民地を失うときに日本が進駐してアメリカが怒り、石油を禁輸した、日本の見通しの甘さもあり、アメリカが甘く見るなとしてもので、荒木氏の言い分、日本から見たらこうなるものの、歴史的に見たら日本に反省点があり、歴史を検証したらそうなる。外交の失敗が重なり、理由は軍事の先行、軍が政府の意向を超えて勝手なことをして、その反省は荒木氏にはなかったのです。

 二人目、陸軍の軍人、鈴木貞一氏、戦争責任は、国民の政治的な責任があり、国民が戦争を欲しないなら違う、政治家の力が足りない、誤りを直す政治の力が足りない。日本人の世論が固まっていなかった、当時の政治で、軍に頭を下げて、軍人を攻めるのは無理。治安維持法、議会でやっており、これを作った=承認して服したといい、戦争は政治、国民のせいといい、保坂さん、鈴木氏は頭のいい軍人で、東大に経済の勉強して、言っていることの半分は正しいが、問題はどの立場で言っているかであり、決める背景に、軍がどれだけ口を挟んだか、軍が強圧的に入ったのに、それを言わず表面を言っていると解説されました。国民の政治力、国民は議員を選ぶ権利を持ち(男性のみ)、その国会で戦争の是非は論じたことはない、議会は戦争を判断する機関ではなく、国民の世論はマスメディアが内務省の検閲の下自由なことは報じられず、新聞・ラジオは国の枠の中でしか報道できず、それは鈴木氏、保坂さんこの方101歳まで生きて、何回か会い、鈴木氏は理知的な人で、彼は戦後政治家にならず、戦争の決定のことを思い、しかし、鈴木氏、そこに行くまでに陸軍がどれだけ澄
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をかけたかを言わないといけないと保坂さん言われたのです。

 3人目は大蔵官僚、賀屋 興宣(かや・おきのり)氏、軍閥が動き、動いたのは軍の責任といい、保坂さん、戦争を決めるのは御前会議、その前に大本営、政府、東条内閣の協議があり議会は関与できない。東条内閣の大蔵相が賀屋氏、日本の戦費をどう生み出すかについての専門家で、本も書き、戦争中の財政は一番知っているとして、その役割を認め、保坂さん賀屋氏にも会い、戦争への決定権はなかった、それは軍の責任だというのです。

 戦争責任は何なのか、軍は政治のせい、政治は軍のせいと、誰も責任を取らず、保坂さん、日本の戦争責任、軍が悪い、政治が悪いというが、時代を担った指導者に責任感が気迫で、政治家は国民の生命を守るべきなのに、戦争はそれに反し、国民を戦場へ行かせるが、そこにパートがあり、みな自分のパートしか責任を取らず、最終責任は東条首相であり、責任のなすりあい=日本の政治家の自覚の中に、バラバラであり、権力者をチェックする機能なし。真珠湾攻撃、国会議員はそれに驚き、議員が軍人におもねた。

軍人は政治家を味方にしてしまい、反対するものを排除し、情報は管理され、新聞は本当のことを言わない。国の発表以外は報じられず、軍は秘密の中で戦争を決めていたのです。国民は戦争したくないのに、そういう声が出せず、法律は総動員法(1938年、戦争遂行に収斂、戦争なら全部OKの法律)、これも当初は違っていたが、議会で見直せず、軍に逆らえない。議会は戦争開始後超法規的なものになり、反戦はだめとかなり、法律の運用で縛られ、法律が出来たときはそんなことにはならないと思っていたら、治安維持法、共産主義の弾圧で、1933年には共産主義者はいなくなり、次は自由主義者を対象にして逮捕→次は宗教家(1937年)→果ては軍と距離を置く右翼。一つの法律は、運用次第で拡大し、それが1940年代の戦争の拡大になったのです、法律が拡大解釈され、何もいえなくなる、気がついたら戦争、なのです。

 結局、問題は、国民が意見を言う場が補償されず、法律を適用する組織が、対象者がいなくなると次の対象を探し、官僚が肥大化する。官僚が法律を運用し、雪だるまを転がすように拡大されるのです。

 一度戦争になったら国民はどうなるのか、戦争体験者の証言で、無差別攻撃は禁止されているのに守られず、日本軍はそれを破り、しかしアメリカも大阪空襲(1944/11〜敗戦前日)、B29が爆弾を落とし、空襲経験者のお話、爆弾の落ちる音、恐ろしいもので、淀川の堤防に死体の群れ、空襲はすさまじく、爆弾が来て、あっという間に火の海、医者に行っても埒が開かず、薬もない、処置なし、指が焼けてしまう。逃げようとしても、防空壕から出て焼夷弾を浴び、母は胸に直撃して死亡、家は崩れ、崩れた遺体に形はなかったのです。

 さらに原爆、広島・長崎に投下され、被曝した女性の声(10年後の声)、鏡を見て、それが自分の顔と思われない、こんな顔になったのか、母が原爆症で下痢が続き血を吐き、10月24日に亡くなった。戦争がなかったらと、母は言っていたというのです。また戦争を起こしたいという人に、その顔を見せたいというのです。

 戦死した日本兵は230万人、戦場、特攻であり、戦場では中国で捕虜に加害した本田竜太郎氏、部隊で10人の兵士を率い、捕虜を連れられず、でも放せとはならず、処分しろとなり、その時それを断ると、軍隊には法律があり、陸軍刑法で罰せられる。体長はピストルで撃ち殺しても当然で、殺さないと殺される状況であり、捕虜を身動きできないようにして、ぐさりと突いて、その捕虜の表情は60年経っても消えないのです。保坂さん、戦争で傷つくのは一般の国民、戦場体験を持つのは庶民(兵隊は20代)、命のやりとりをして、兵士の証言を謙虚に聞かないといけない、彼らは苦しくて、なかなか口にしない、平時の常識の通じない世界を過ごして来た人で怖い話であるが、戦争とはそういうもので、戦争体験をたくさんの人に聞いて、余命いくばくもない老人が真っ青になり、死ぬ前に話したいと、特攻隊の乗る飛行機の整備士、特攻隊は失神し泣いていた、勇敢なものではない、それを整備兵が乗せた、5人の特攻隊を乗せた、そして死んでいった。自分は殺人犯だと苦しんでいる、こう苦しんでいる人は多く、しかし戦争を決定した軍人は庶民の苦し\xA1
みを知ら
ず、我々は戦場で戦った兵士
の証言が第一なのです。

 敗戦、極東裁判で裁かれた戦犯の声、保坂さん、この裁判、勝った側の一方的なものとも言われるが、確かに半分は当たっているものの、日本の指導者は戦争のことを隠しており、こういうことがあったと国民に知らせ、国民の知る権利を裁判の果たした皮肉な結果もあり、この裁判がなかったら、当時の指導者の決定プロセス、軍のクーデターを知らずにいたかも知れないのです。

 A級戦犯にも釈放されたものがあり、アメリカは方針転換し、アメリカは裁判を1年で終わらせたかったが、2年半かかり、長すぎでけじめをつけないといけない時期に東西冷戦となり、長い裁判はアメリカとソ連の思惑が入り、アメリカは極東アジアの拠点に日本をする=共産主義への砦に日本をすることになり、A級戦犯は、岸信介氏ら、アメリカに逆らうな、逆らうとこうなると、7人処刑した日に釈放し、釈放された人はアメリカの走狗になり、箔をつけて社会復帰。岸氏だけでなく、アメリカが政治資金を出して、彼らに政治活動をさせて根アメリカの意向を代弁し、アメリカはA級戦犯、釈放したものには新しい指導者になり、それを新米にするのです。

 終身刑を受けながら釈放された賀屋氏、新しいキャリアを作れず、役に立つことはしたい、議員になれるならなると言っており、実際賀屋氏衆院に5期当選、タカ派。さらに、陸軍クーデターの橋本欣五郎(きんごろう)氏、選挙に出たい、何もしないわけにはいかず、政治に出て償うとして、橋本氏落選して翌年死亡、戦争責任を橋本氏、戦争を煽り、国民にすまないというが、外国にはすまないとは思わない。勝つと思って戦争を負けた、勝つと思わず戦争するものはいない。誤算があり、日本の国力が足りない、それをこれくらいなら勝てると思った、これが誤算というのです。保坂さん、国民に傷があり、為政者は反省もなく権力を握り、A級戦犯、加害者の責任がないのについて、橋本氏、クーデターを意図して先頭に立ち、昭和10年代、政治活動もやり、率先して戦争を扇動し、しかし、戦争に勝つと思って誤算というのは、国民を守るべき政府の責任にはお粗末で、こういう言葉で済ませる軍人たちの考えが出ていると言われました。責任感はなく、これは戦争をばくちとしている、勝つと思って戦争するのは愚かなことで、戦争を避けるのが政治家、軍人の役割なぁ
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負けたというのは、戦争でそういう言葉は使ってはいけないのです。

保坂さん、政治が失敗すると戦争になり、政治家・国会を監視しないといけない、国会は戦争を回避しているのか。1940年代の日本の戦争は特異性を持ち、20世紀はシビリアンコントロール、政治が軍事をコントロールし、アメリカもソ連も、ナチスもそれなのに、日本は軍人が政治を支配し、軍人は勝つまでやる、勝った時が終わり、軍人に政治をさせてはいけないのです。シビリアンコントロールを確認しないといけないのです。

 今、秘密保護法、集団的自衛権を保坂さん懸念して、日本は戦間期(戦争の間、ドイツが負けてヒットラーが復讐する間)を持たない、日本は戦争をしないでやる国で、それが軍事に傾倒したら、日本は戦間期を持って、第2次大戦の復讐をするのかとなる。軍事に傾斜、そういう法的体系は、戦間期を作ることになり、後世戦間期になるもので、今は、日本は戦間期を持たず、軍事で解決しないことにしないといけないのです。

 今、現状を憂う人もあり、保坂さん、我々の親はどういう苦労をして、何を伝えているのか。戦争をすべきでないものであり、難しく考えることではなく、親の時代は幸せであったのか?親の時代から教訓を学び、それが歴史と考えるのです。戦時中も大阪人の気質があり、大阪の部隊は大本営も前線につぎ込まなかった、大阪は自分の命も大事と、国家に従っていてばかりではない、シビリアンの大阪人の考えを、日本全体が学ぶべきと保坂さん言われました。国家が財産を没収して戦争にすることに抵抗するのが大阪人にあったのです。

 以上、報道特別番組でした。この内容、皆さんもよく考えてください。

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以上、転載

太田光征
posted by 風の人 at 20:38 | Comment(0) | TrackBack(0) | 一般
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