2007年07月14日

JANJAN編集部を批判する〜JANJANは市民メディアたりえているか?

私は先日(7月11日)、「参院選「候補者アンケート」の読み方」と題する記事をインターネット新聞JANJANに投稿しました。
http://unitingforpeace.seesaa.net/article/47460036.html
(上記ブログに掲載されている記事と同一のもの。同様の記事は本MLにも発信しています)が、JANJAN編集部から同記事を「不採用」とする通知を受け取りました(私は同紙に30本程度の記事を投稿していますが「不採用」になったのははじめてです)。

もちろん、ある投稿記事を「採用」とするか「不採用」とするかを含む編集上の権限は同紙編集部にあります。私たちはそのことを「同意」して市民記者になるわけですから、私の記事が不採用になったこと自体に異議があるわけではありません。問題は、JANJAN編集部が私の記事を不採用にした「基準」にあります。

JanJan編集部は私に不採用の理由を次のように通知してきました。

「公職選挙法は『特定の選挙に、特定の候補者・政党の当選をはかること又は当選させないことを目的に投票行為を勧めること』を選挙運動と規定し、現状ではインターネットの活用などに厳しい制限を設けています。いただいた『参院選「候補者アンケート」の読み方』記事は、選挙報道の範疇に収まっておらず、『特定の選挙に、特定の候補者・政党の当選をはかること又は当選させないことを目的に投票行為を勧めること』がミエミエです」

しかし、JanJan編集部の公職選挙法の解釈は誤っています。同法には明確な選挙運動の規定はありません。あるのは全国の選挙を管轄する総務省や各自治体選管が準拠する次のような「選挙運動」に関する解釈です。

選挙運動:
「特定の公職の選挙につき、特定の立候補者又は立候補予定者に当選を得させるため投票を得又は得させる目的をもって、直接又は間接に必要かつ有利な行為」『実務と研修のためのわかりやすい公職選挙法(第13次改訂版)』(選挙制度研究会編)
http://katteren.blog97.fc2.com/blog-entry-2.html

したがって、公選法上の「選挙運動」とは、総務省の解釈では、(1)特定の選挙において(2)特定の候補者を当選させるために(3)有権者に働きかける行為、の3つの要素を指しており、上記に該当しない政治活動、政治的主張をしても「選挙運動」ではないことになります。

現在の総務省選挙課も「公職選挙法には個人による落選運動を禁止する規定はない。ただし、2人のみが立候補していて、結果的に一方の当選に利する行為であれば、選挙運動になることがある」という解釈をとっているようです。

JanJan編集部の援用する「選挙運動」の規定は、全国各地にあるひとつの選管にすぎない東京都選挙管理委員会の解釈にすぎません。

選挙運動:
「特定の選挙に、特定の候補者・政党の当選をはかること又は当選させないことを目的に投票行為を勧めること」
http://www.senkyo.metro.tokyo.jp/qa/qa03.html
(東京都選挙管理委員会)

東京都選管は総務省の解釈を越権的、恣意的に変更して「当選させないこと」をも「選挙運動」の中に算入しているのです。これは明らかに行政による不法行為というべきであり、都の解釈は完全に無効です。民主主義の根幹である選挙のルール規定について、一選管にすぎない都選管のこのような恣意的な解釈変更が許されるはずはありません。

ところが、JANJAN編集部は、この一選管にすぎない都選管の恣意的な、かつ誤った「選挙運動」解釈を無批判に援用して市民記者の書く記事を規制しようとするのです。

JANJAN編集部はさらに上記記事「不採用」の理由を次のように続けます。

「私がもし、民主党の関係者であれば、この記事が掲載されて場合、個人としての東本高志(さん)と、法人としてのJanJan編集部(日本インターネット新聞(株))を公選法違反で告発し、私がもし、選管担当者であれば、個人としての東本高志(さん)と、法人としてのJanJan編集部(日本インターネット新聞(株))を公選法違反で、警告するでしょう」

私は「事実」を提示し、民主党候補者のアンケート回答の矛盾を指摘しています。上記記事中、福島県の民主党候補者が、憲法9条について地元団体のアンケートに「9条は1項のみ残し、2項は自衛軍の保持を明記するなど変更を加えるべきである」と回答しているのは事実です。これは実質的に「改憲」の主張です。その「改憲」の主張と「9条は改正すべきでない」という別のアンケートに対する回答とは矛盾するのではないか、と指摘しているのです。

その記事がたとえ特定政党の候補者の批判を含むものであったとしても、指摘されていることが「事実」であるならば、有権者が「正確」な情報に基づいて候補者を選択することのできる情報を提供するという立場から、メディアは、進んでその「事実」を読者に広く伝える責務を負っているというべきではないでしょうか。JANJANが「市民の、市民による、市民のためのメディア」を標榜するのであればなおさらのことでしょう。

JANJANは、その『JANJAN宣言』において、「既存マス・メディアのニュース価値にかかわりなく市民の視点に立って良質な言論を創り上げます」と謳っています。市民の視点はひとりひとり多様です。「市民の視点に立」つとは、そのひとりひとり多様な市民記者の記事を尊重するという意味でしょう。「私」の記事は、「私」というひとりの市民記者の意見表明、もしくは記事です。その「私」の記事に異論があるのならば、もうひとりの市民記者が異論、もくは別の観点からの記事を書けばよい。そうして、多面的な紙面構成となる。JANJAN創刊の意図は、既存マス・メディアに欠落していいたそうしたインタラクティビティ(双方向性)をめざす、ということではなかったでしょうか?

上記のJANJAN編集部の私への通知は、ひとりの市民記者の自由な批評行為に対するいわれなき恫喝ともいうべきものです。東京都選管の公選法の恣意的解釈をさも公選法そのものの規定であるかのように言い募り、その誤った解釈を用いて刑事罰を匂わしてまでその記事を差し止めようとする行為は、報道機関にあるまじき稚拙かつ破廉恥そのものといわなければなりません。

私は上記に関して、JANJAN編集部に次のように返信しました(結論部分のみ)。

「私の記事の核心は候補者の抽象的な言説に惑わされずに投票に悔いを残さないためにも候補者の本質を見抜こう、というものです。重要な「観点」だと思っています。/JANJANも報道機関のひとつです。市民感覚の記事の報道、をうたう。報道記事はもっと自由な視点から選択しなければならないでしょう。報道機関自らが萎縮してしまってはならない、と私は思います。ましてや市民の報道機関をうたうのであれば。/(上記のような)都選管の公選法の恣意的な解釈について報道機関としてはもっと闘う姿勢を持ってもよいのではないでしょうか。少なくとも私は私のこの記事が採用され、誰かから訴えられたとしても闘う姿勢を持っています」

注:JANJAN編集部から再返信として次のようなコメントが送付されてきました。
「報道ではなく、選挙活動だ、というのがJANJAN編集部(担当編集者)の私の解釈です。参議院福島県選挙区立候補予定者は4名あり、そのうち2名だけを取り上げた記事では『報道』にはならないと思います」。私は上述の返信でこの点についてもすでに反論しています。「共産党候補者と民主党候補者を比較しているのは単に例を示しているもので(すべての候補者の比較を試みてもいいのですが、それでは記事が長くなりすぎます)」す、
と。ただ、私の記事が「報道」に値するかどうかについては「評価」が分かれて、議論の収拾がつかなくなる恐れがありますので、ここでの論点とはしません。

東本高志
posted by 風の人 at 16:22 | Comment(0) | TrackBack(1) | 一般
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