2007年05月23日

教育3法(参院文教特別委)に思う

いつものことだけど、いくら美辞麗句を使って、教育の大切さを述べても学校
現場に立ったことがない人が何をどう言おうとその言葉に真の内容はない。
むやみに「不適格教員」という言葉を乱発することによって、あたかも、教員
だけに不適格な者がいるように聞こえる。ここまで乱発したら、不適格教員と
いう言葉は差別用語ではないか。不適格○○は、ありとあらゆる分野にいるだ
ろうが、一番目につくのは、不適格政治家だ。金銭の不正、人権感覚の欠如、
などなど、国民のリーダーたるべく資質を持たない政治家が、まったく多い。
パワーハラスメントを平気で行う政治家が、大手をふっていばっている。
教育が大切というのは、現場の教員こそが痛切に感じているはずだ。行政は、
現場を後押しするために何をすべきかを、現場の先生方の意見をよく聞いて、
それを実行することこそが仕事ではないか。一人一人の子供に向き合うという
ことは、教員の人数が十分でなければ、不可能だ。つまり人件費を増やす事が
緊急課題。それなのに政府の出した案は、校長、教頭の他に、副校長、主幹
いう役職を設けることだ。必要なのは子供と直接授業で触れあう平の教員なの
だ。安部総理の「前の教育基本法は日本の経済成長のために貢献したが、60
年経って時代にそぐわないところが出てきた。学校では、損得のみが強調され
てきたようだ。」に驚いた。教育に競争原理(損得)を持ち込もうとしている
のはほかならぬ安部内閣ではないか。学力テストの導入、それによって良い成
績を出した学校の予算を増やす方針だという。
一般会社のように、役職をやたら増やして、教員の世界にも競争原理を入れよ
うとしている。子供の表情より上司の顔色を伺う姑息な教員が多くなってしま
うだろう。60年で変わったのは子供を取り巻く社会環境、そして社会に起因
する家庭環境だ。だからこそせめて学校では手厚く、子供に教育を受けさせる
ことができるよう、少人数でゆとりある学習環境が必要なのだ。
また免許更新制は、一見、国民にとっては「けっこうなことだ」という印象を
与えるかもしれないが、教育現場にとっては何の意味もない。ただ自分の研修
時間をさらに奪われるだけのものだ。文科省から降りてきた研修会ほど、意味
のないものはない。毎年、文科省主催の研修会があるが、きちんと教えられる
人がいるわけではなく、現場から選ばれた教員が発表したりしているが、目新
しいものがあるわけでがなく、現場が抱える問題を出してもそれに答えられる
人もいない。本当に時間の無駄なのである。こんな研修をするなら、自分で本
でも読んでいた方がましなのだ。
いずれにしても教員が育つのは、教員として経験を積み重ねるしか方法はない。
教員は、専門教科の知識の他に一般教養がなければならないので、常に研修し
続けることが必要だ。そのためには日々研修の時間がなければならないだろう。
(1時間の授業に1時間の教材研究、準備、授業のまとめ、は必要だと思う。)

地方教育行政法は国家統制という目的しかないだろう。地方の教育委員会もど
うにもならない低レベルのところが多いが、文科省のレベルも低いからいい勝
負だけど、規制が強まるのは圧倒的に国によるものだろうから、反対しておか
なければならない。
小さな市という単位なら、まだ良心的な市や教育委員会も存在する可能性があ
るけれど、国の統制ということになれば、国がまちがった方向に行ったときに
は日本中が狂うことになってしまう。
一番良いのは、学校ごとの裁量をもっと生かせるようにすること。もちろん一
定の枠は必要だが。今の日本の教育の最大の問題は、学校裁量を全く認めず枠
ぐみ以上のことを地域や学校事情も考えずに押しつけていることだ。
教育者の専門性を全く馬鹿にしているのだ。伊吹文科相もしきりに地方や都会
の生徒数のちがいなどを言っていたが、だからこそ地域の実態に合わせること
が必要なのだ。
三権分立は民主主義の基盤だが、(今の日本はそれも危ういが)
教育にもある程度の独立性が保障されるべきだと思う。教育についての門外漢
があれこれ余計な口出ししては世の中混乱するばかりだ。同時にマスコミも独
立性が大切だ。政治家の意にそうような報道しかできないのでは困るから。
五権分立が理想なのではないかと思う。
                         大田幸子
posted by 風の人 at 11:27 | Comment(0) | TrackBack(0) | 一般
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