2015年06月22日

(米国)政府の権限・裁量は広く、主権者の権限は狭くという外形的立憲主義――砂川事件裁判、日米安保、集団的自衛権、選挙訴訟、放射性廃棄物処分場

憲法に書いていないことも政府が実行できるとする考え方が外形的立憲主義です。

どういう感覚なのか、政府は砂川事件の最高裁判決を根拠に集団的自衛権が認められると主張しています。

(社説)「違憲」法制―また砂川とは驚きだ:朝日新聞デジタル
http://www.asahi.com/paper/editorial.html
<自民党は昨夏の閣議決定にいたる議論の中で「最高裁は個別的、集団的を区別せず自衛権を認めている」と、集団的自衛権を認める根拠に判決を持ち出した。>

砂川事件の最高裁判決は、国民の平和的生存権を根拠に国家の自衛権を認め、防衛力の不足を「平和を愛好する諸国民の公正と信義に信頼すること」(憲法前文)や米国による集団的自衛権の行使(米国議会の承認が前提)によって補うことを是としただけです。

砂川事件最高裁判決http://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=55816

判決は「同条二項がいわゆる自衛のための戦力の保持をも禁じたものであるか否かは別として」(2ページ)と、自衛のための戦力=自衛隊の合憲性についてすら判断を避けているのだから、米国ではなく日本の集団的自衛権について何も判断していないことは明らかです。メディアでは自衛隊合憲派の憲法学者が注目を集めていますが、安倍政権による同判決の利用を批判しても、この判示部分を強調しません。

砂川事件最高裁判決の後、日米安保条約と地位協定に明示的な規定がない限り、在日米軍に日本の法令が原則として適用されないなどという政府解釈に行きつきます。日米安保条約と地位協定に書いていない限り、在日米軍に日本の法令が適用されるのが当然なのですが。

ところで、裁判所はこの間、私らの選挙無効請求訴訟だけに限らず、公選法の204条、205条の解釈を捻じ曲げて、選挙人が所属選挙区以外の選挙区について選挙訴訟を提起できないとする原告適格制限と、原告以外の他者に係る選挙規定(住所非保有者の選挙権制限など)を選挙訴訟の争点とはできないとする無効原因制限を主張しています(下掲準備書面(2)参照)。

2014年衆院選無効請求訴訟:原告適格を制限する過去判例と被告回答書に反駁する準備書面(2)を提出
http://kaze.fm/wordpress/?p=540

日米安保条約と地位協定に在日米軍の権利制限が書いてないからと在日米軍に日本の法令を原則適用しないフリーハンドの権限を与え、別の面でいえば平和的生存権の保障など日本国政府の義務を免除して、また砂川事件最高裁判決が個別的・集団的を区別せず自衛権を認めているからと日本国政府に集団的自衛権を与える一方で、選挙訴訟では公選法204条に「選挙の効力に関し異議がある選挙人又は公職の候補者」が提訴できると書いてあるだけで、原告適格制限や選挙区・無効原因の制限・区別が明記されていないにもかかわらず、主権者の裁判を受ける権利を制限・侵害するわけです。

そして、米軍用地特措法も放射性物質汚染対処特措法(福島原発事故)も来るべき「高レベル放射性廃棄物処分場特措法」も、本来であれば憲法95条で規定される地方自治特別法(特定の自治体にのみ適用される法律)です。憲法95条は特別法の内容や範囲を制限していません。特に米軍用地や放射性廃棄物処分場の選定は候補となった自治体での住民投票が必要な案件です。

第九十五条  一の地方公共団体のみに適用される特別法は、法律の定めるところにより、その地方公共団体の住民の投票においてその過半数の同意を得なければ、国会は、これを制定することができない。

ところが、これらの法律には特定の自治体が明記されていないから地方自治特別法ではないという理屈が使われ、法律の外の行政裁量権で米軍用地や放射性廃棄物処分場を決め、特定の自治体に適用する行政裁量権を憲法95条の縛りから逃れさせます。あるいは地方自治特別法を「特定の地方公共団体の組織、運営又は権能について他の地方公共団体とは異なる定めをする法律」(下記記事参照)であると解釈し、あくまでも住民主権を骨抜きにし、憲法95条を越えて行政裁量権を拡大させます。とんでもない開き直りの外形的立憲主義です。

国による自治体差別を抑止する憲法95条(地方自治特別法の制定における住民投票の義務付け)を無視して「大阪都法案」の成立に導いた橋下維新は「中央集権打破」「地方分権」の旗手か〜自民党は95条の骨抜きを狙っている〜
http://kaze.fm/wordpress/?p=402
加藤一彦「地方自治特別法の憲法問題」(17ページ)
http://www.tku.ac.jp/kiyou/contents/law/18/Kato.pdf

以上みてきたように、政府と裁判所は制限・区別規定の有無を核、日米安保条約、選挙訴訟の争点ごとに恣意的に解釈し、憲法と法令の適用を政府に都合よく回避しています。

ちなみに国連憲章51条は個別的自衛権と集団的自衛権を区別していないのではなく、両者を明確に区別した上で明示的に併記しているのです。区別した上での明示的な併記は、公選法204条の解釈でも非常に重要な点となっています(上掲準備書面(2)参照)。

(米国)政府の権限・裁量は広く、主権者の権限は狭くという、まったくのアベコベぶり。

ここを突破する政治争点化が求められます。与党の安保法制案の細かな部分を批判して野党のふりをするのと、外形的立憲主義を批判して野党としての政治潮流を創るのとでは大違いです。狙いどころは個別の安保法制案の廃案にとどまらないでしょう。

太田光征
posted by 風の人 at 09:54 | Comment(0) | TrackBack(0) | 集団的自衛権
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