2013年12月09日

防空識別圏(ADIZ)について

社会批評社の小西です。

メーリングリストなどで議論になっている、中国の防空識別圏設定の問題ですが、僕はFacebookやツィッターでは、私見を何度も述べておりますが、この場では初めてですが述べたいと思います。この問題は、現在でも今後も、重要な問題ですので、以下、少し長くなりますが、辛抱してお読み下さい。

まず、ひじょうに残念なことに、あの特定秘密保護法が、国会を通過した日にー、

●「中国による防空識別圏設定に抗議し撤回を求める決議(平成25年12月7日)」

が、衆院・参院で全会一致でなされました。例えば参院本会議「237票賛成反対0で全会一致で可決」http://moi.st/1ab4063

国会には、この問題で「一人のリープクネヒト」もいなかったということです。

さて、防空識別圏(以下、ADIZ)ですが、僕は、空自のレーダーサイトに勤務していた関係から、この問題については日常業務として関与していましたから(1970年当時)、経験からも述べます。

まず、このADIZは、最近の報道でも知られるとおり、1945年の敗戦と共に、米軍が日本全国にレーダーサイトを設置し、1969年に米軍から空自に移管されたものです(僕のいた当時は米軍顧問団までいました)。

この中で、ADIZは、当時のレーダーの到達距離(マル秘)の約200〜300qの範囲(レーダーの機種と地理的要因による違い)にまで設定していました。もちろん、この範囲は、領空はもとより、後に設定された日本の排他的経済水域(EEZ)をも、遥かに超えるものです。

ですから、当時の平和勢力(共産・社会)はもとより、メディアでも、このADIZの設定自体が、中国・ソ連への徴発であり、威嚇であるというのが、当然の認識としてありました。
(こういう任務への疑問を含めて、僕は考えを変えました。当時のソ連への……現在は中国への、スクランブル自体が「武力による威嚇」です。現に先日、政府は、中国の無人機に対しては撃墜することを宣言しています)。

ところで、この間の日本政府(及び全野党・メディアのほとんど)の主張は、中国のADIZ設定自体が、「許せない、撤回しろ」というものです。単に中国のそれに「尖閣」が入っているから、とか民間機の進入に許可を求めているから、というものではありません。これは、言うまでもなく、単に戦後の軍事的既得権の「死守」を宣言しているだけです。ADIZの設定自体は、国際的軍事慣例の下で、いずれのクニも「一方的に設定」をしているというのは、残念ながら事実です。したがって、日本政府(野党)は、

●中国のADIZ自体の設定を認め、その「範囲」について協議を行う。
●また、そのADIZに侵入した対象国機へのROE(武器使用手順)の協議を行う。

この二つの取り決めが必要です。
すでに、先日訪中した米副大統領などは、表向きはともかく、以上のような「条件交渉」に入りつつあります。これは、賢明な選択でしょう。

*本日の朝日新聞の一部転載です。
「識別圏そのものの撤回を求める日本に対し、米国は識別圏に入るすべての航空機に事前通知を義務づけるという中国の運用方法を問題視している。いわば「手続きの撤回」(米国務省)を求める立場だ。安全への配慮から、航空会社の飛行計画提出も認めた。
 経済的にも軍事的にも台頭する中国に対し、米国は是々非々の立場でのぞんだ。両国は今回、シェールガス開発などエネルギー分野や気候変動問題などの協力拡大で合意した。競争しつつも決定的な衝突は避けようという「新しい大国関係」について、バイデン氏も改めて言及。識別圏自体の撤回を求め、尖閣諸島を巡って対立を深める日中関係との違いが目立った形だ。」

これを見ると、いかに政府と野党がどうしようもない中国脅威論(自衛隊の中国脅威論ー南西重視戦略→新たな「冷戦」の開始)に乗っかっているかが、現れています。
いずれにしても、以上の日中協議を具体的に進める世論を作らねば、日中の軍事的衝突(小衝突)は、不可避となります。

そして、その場合、もっとも重要な一つが、日中の軍隊の「尖閣から引き離し」です。軍隊を排他的水域線ぐらいまで引き離して、その内側は双方の海保に任せるべきです。中国も最近、日本の海保に準じるものを作りましたが、戦後、日本の海保はそのためにあります。

海上保安庁法第25条には、「この法律のいかなる規定も海上保安庁又はその職員が軍隊として組織され、訓練され、又は軍隊の機能を営むことを認めるものとこれを解釈してはならない。」と定めてあります。この規定は、戦前の教訓によるものです。もっとも、ここ十年来、海保の軍事化が進んでいますが、これは別の機会にします。

この深まるばかりの、中国との「軍事的危機=小戦争の危機」を平和的に解決するためにも、いまこそ事実の中から世論を喚起することが必要になっています。ぜひ、広めてください。


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以上、転載

太田光征
posted by 風の人 at 01:52 | Comment(2) | TrackBack(0) | 一般
この記事へのコメント
興味深く拝読させて頂きありがとうございました。

ひとつ質問です。ADIZについて、
「1945年の敗戦と共に、米軍が日本全国にレーダーサイトを設置し」とありますが、1945年に設置したという意味なのでしょうか。

というのは、アメリカ・カナダのADIZの英文説明では朝鮮戦争で高速の航空機による脅威を体験したことが動機だったと書いていて、かつ米本土の設定は1950年となっていました。
日本が、それよりも5年も早いことが疑問です。さらに、マッカーサーの厚木来着は1945年の8月末ですからたった4ヶ月でADIZ設定が可能だったのかも疑問です。

できれば、資料のURLなどもご教示頂ければありがたく思います。
Posted by 松浦 守 at 2013年12月15日 19:03
松浦さん、コメントありがとうございます。

小西さんから以下の回答がありました。

太田光征



お問い合わせの件ですが、下記の資料をご覧下さい。結論から言いますと、敗戦後から旧軍基地などを収容した米軍は、移動式レーダー、そして、固定式レーダー基地建設と、徐々に全国へ展開していったということです。おそらく、極東等での冷戦の始まりによるのかも知れません。
また、このレーダー基地建設とともに、ADIZを設定したとわけですが、下記の質問にある日本での設定の時期は正確には不明です。

http://www.nids.go.jp/publication/kiyo/pdf/bulletin_j15-1_5.pdf

「( 2 )米空軍による航空警戒管制部隊の展開と航空自衛隊の創設:1945〜1958年
終戦直後の第5空軍の駐留とともに、航空機の管制や防空のため日本周辺地域ではレーダーサイトが逐次整備され、1946 年頃から航空警戒管制組織の編成、配置が開始された。
初期のレーダーサイトは移動用あるいは可搬用レーダーを設置した野戦タイプのものであったが、1950 年6月の朝鮮戦争勃発にともない、より本格的な固定レーダーサイトの建設が進められた。これらのレーダーサイトは1951年から逐次運用が開始され、1957年頃にはほぼ現在の形が整った(表1参照)。この間にも施設の統廃合が実施され、現存の施設番
号のみを見ると欠番も多くあたかも規則性がないかのように思われるが、表1からは、米
空軍が当初より最終的な完成図を念頭に置いて整備を行い、初度配備の簡易なレーダーサ
イトから恒久的なレーダーサイトへと切り替えていったことが伺われる。
各地に配備されたレーダーサイトは3個の航空警戒管制群を構成し、それぞれ前述の第39 航空師団(三沢)、第 41航空師団(入間)、第 43航空師団(春日)の隷下におかれていた。
これらの航空警戒管制群は、後に航空自衛隊に移管され、それぞれ北部・中部・西部航空方面隊の隷下部隊となる。」
Posted by 太田光征 at 2013年12月17日 17:56
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