2013年07月31日

麻生太郎「ドイツ・ワイマール憲法は誰も気がつかない間に変わった。あの手口を学べ」と自民党改憲案99条「緊急事態条項」(これこそナチスの手口)

でたらめ麻生太郎「ドイツ・ワイマール憲法は誰も気がつかない間に変わった。あの手口を学べ」(2) - 薔薇、または陽だまりの猫
http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/abb769d6c8f7fb62266e36b38acafcd5

麻生副総理 改憲でナチス引き合い、都内の講演で語る/スポニチ
http://www.sponichi.co.jp/society/news/2013/07/29/kiji/K20130729006320770.html
麻生太郎副総理兼財務相は29日夜、都内で講演し、憲法改正をめぐり戦前ドイツのナチス政権時代に言及する中で「ドイツのワイマール憲法はいつの間にか変わっていた。誰も気がつかない間に変わった。あの手口を学んだらどうか」と述べた。

 「けん騒の中で決めないでほしい」とし、憲法改正は静かな環境の中で議論すべきだと強調する文脈の中で発言したが、ナチス政権を引き合いに出す表現は議論を呼ぶ可能性もある。

 麻生氏は「護憲と叫んで平和がくると思ったら大間違いだ。改憲の目的は国家の安定と安寧。改憲は単なる手段だ」と強調した。その上で「騒々しい中で決めてほしくない。落ち着いて、われわれを取り巻く環境は何なのか、状況をよく見た世論の上に憲法改正は成し遂げられるべきだ。そうしないと間違ったものになりかねない」と指摘した。

 安倍晋三首相や閣僚による終戦記念日の靖国神社参拝を念頭に「国のために命を投げ出してくれた人に敬意と感謝の念を払わない方がおかしい」とし「静かにお参りすればいい。何も戦争に負けた日だけに行くことはない」と話した。

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泥憲和さんから

今朝投稿した麻生発言を、読売新聞も報じていました。

▽▽
ナチスの手口学んだら…憲法改正で麻生氏講演
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20130730-OYT1T00050.htm

 麻生副総理は29日、都内で開かれた講演会で憲法改正について、「狂騒、狂乱の中で決めてほしくない。落ち着いた世論の上に成し遂げるべきものだ」と述べた。

 その上で、ドイツでかつて、最も民主的と言われたワイマール憲法下でヒトラー政権が誕生したことを挙げ、「ワイマール憲法もいつの間にかナチス憲法に変わっていた。
あの手口を学んだらどうか。
(国民が)騒がないで、納得して変わっている。
喧騒けんそうの中で決めないでほしい」と語った。

(2013年7月30日07時32分 読売新聞)
△△

 朝日新聞も同じ講演を記事にしていますが、なぜか「ナチスに学べ」の部分だけ削除しています。
 この発言はいずれ海外から激しく非難されると予想されます。
 その前に国内批判を高めないと。
 
 みなさんはよくご存知でしょうが、麻生発言のデタラメさを年表にもとづいて検証しました。

>ワイマール憲法もいつの間にかナチス憲法に変わっていた。

 【間違い】 ドイツワイマール憲法は「変わった」のではない。

 ワイマール憲法は変えられたのではなく、なくなったのでもない。
 「ナチス憲法」というものも存在しない。

 「非常事態」を口実に導入された「授権法」により、憲法が執行停止にされたのです。

 自民党改憲案99条には、「緊急事態」の定めがあり、議会の同意を得ないまま内閣が法律の効果をもつ政令を発布できるとしています。
 おお、怖っ!
 
>(国民が)騒がないで、納得して変わっている

 【間違い】 大騒ぎの中で強権的に停止させられた。

 ワイマール憲法が停止に追い込まれるまでのたった1ヶ月の年表を繰ってみます。

 1933年2月27日
 国会議事堂が何者かの手で放火された。
 ヒトラーはこれを共産党の仕業であると決めつけ、弾圧を開始した。
 同時に緊急大統領令を布告して非常事態を宣言した。
 ワイマール共和国憲法の保障する基本的人権や労働者の権利のほとんどは停止された。

 3月1日
 ゲーリングがラジオ放送で「共産主義を我々の民族から抹殺する」と叫び、政府自らが共産主義者に対してテロルを振るうことを宣言した。
 共産主義者は次々と警察によって予防拘禁され、2日後には無政府主義者、社会民主主義者も対象に加えられた。

 このさなかに選挙が実施され、各地で共産党や民主主義政党の集会がナチス突撃隊に襲われた。
 選挙期間中に殺害された共産党員など51人、負傷者は数百人にのぼった。

 選挙の結果、100議席を持っていた共産党は81議席へと後退した。
 一方ナチス党は199議席から288議席へと躍進し、ヒトラーが首相に就任したが、全体の647議席の過半数獲得には至らなかった。

 3月23日
 連立政権を組んだ右翼政党の協力で、授権法(全権委任法)が成立。
 ワイマール憲法は執行停止された。

 立法権を政府が掌握し、議会が無力化されて独裁体制が確立された。

 麻生のいう「騒がないで納得して変わった」というのは、こういう状態でした。
 さて、その後。

 7月14日
 「政党新設禁止法」公布。
 ナチ党以外の政党の存続・結成が禁止された。
 授権法に賛成した連立政党も解散させられた。
 (公明党は他山の石とすべきだ)

 12月1日
 「党と国家の統一を保障するための法律」公布。
 ナチ党と国家の一体化が定められた。

 ヒトラーは「政権を取ったらヨーロッパ中に戦争を仕掛けまくるぞ」と公約して政権を取ったのではない。
 「(ドイツが敗北して)ベルサイユ講和条約で失われたドイツの誇りを取り戻そう」と訴えたのだった。

 「(日本が敗北して)サンフランシスコ講和条約で失われた日本を取り戻そう」という安倍とそっくりだ。
 勝利におごり、歴史をねじ曲げてナチスに学ぶ自民党内閣を、一日も早く打倒しなければ。

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以上、転載

太田光征
posted by 風の人 at 14:09 | Comment(0) | TrackBack(0) | 一般
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