公職選挙法が本来、「公正な選挙」(憲法前文第一文)(自民改憲草案では削除)などの憲法精神を具現化するものであることを確認し、公職選挙法が憲法の法哲学部分と一体不可分であるとガツンと根源的に規定してみせることは大事です。
国会議員は全国民の代表なのだから、ある選挙区での選管実務が全国民に影響して不利益を与えることがあり得るので、原告適格性が選挙区に関係しないことは明らかです。
以下転載です。
太田光征
*
全国のみなさま
山梨の久松と申します。わたし達は、12月15日に実施された衆院選において全国15000箇所で実施され、
福島においては100%実施された「投票時間の繰上げに」に対して、仙台口頭裁判所に、
異議申し立てを行いました。そして今回、仙台高裁で3月7日に開かれる口頭弁論の内容を紹介させてもらいました。
わたし達の訴えにたいして、福島選挙管理委員会から、わたし達の提訴は、選挙区の住民によるものではないから、
「当事者適格」を欠いているとして、却下を求めるとの答弁書が送られてきました。
以下のものは、それに答える準備書面です。
裁判所に提出したものなので、また素人が書いたもので、少しややっこしいですが、
要約すれば、国政選挙においては選挙区の住民のみが、当事者性を持つものではなく、
また福島選管がの答弁書が、援用していた昭和9年の判例は、
わたし達のケースには当てはまらないことを論考したものです。
憲法の精神が、なし崩しになってゆく中で、もう一度、憲法の精神に立ち返ってくれ、と
裁判所に訴えたものです。わたし達の訴えが、裁判所に通じるかどうかはわかりませんが、
改憲を掲げる自民党が、政権をとった状況で、一人でも多くの人に、この憲法、なかんずく、
憲法前文に記されている憲法の精神の「気高さ」と[ありがたさ」を味わって貰いたい
という思いもあります。わたし達の準備書面を読み、もし賛同の念をお持ちの方々は、
どうか精神的にサポートしてくれれば、こんなにありがたいことはありません。
そういう願いもこめて、わたし達の準備書面を紹 介させてもらいました。
久松拝
準備書面
1. 答弁書に対する回答の趣旨
2013年1月15日、前年12月16日から30日目の日に、衆院選異議もうしたて訴状を、被告を福島選挙管理事務所として仙台高裁に提出した。2月21日、答弁書が明かにされ、23日手元に届いた。それへの回答を準備書面として以下に記す。
はじめに、憲法と公職選挙法について述べる。とくに法哲学性と諸規定の関係について。(2)
次に、答弁書が依拠している判例は今次原告の訴えにはあたらないのではないか、という考察をする。(3)
その後、しかし、答弁書が依拠する判例の結語のみをうけとったとした場合に、原告は当事者適格性の拡大をもとめること、それがもっともである理由の説明に努める。(4)
最後に、原告は、訴状と同じく、選挙の 効力の審査を求めるものであるが、その具体的ファクターとして、投票所のくりあげの広告管理運営についての詳細報告を福島選挙管理委員会より求める。同様に、選挙管理委員会による期日前投票についての広告管理運営についての詳細な報告を求める。
2.憲法と公職選挙法
2−1 選挙の公正さの日本の法体系における意義
憲法は最高法規である。
その最高法規の前文は、この最高法規がなりたつ前提をのべている。
その冒頭には、「公正に選挙された国会における代表者を通じて行動し、…政府の行為によって再び戦争の惨禍がおこらないように決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」とある。
よって、選挙の公正さこそが、この国の礎である国民主権というエネルギーが実働するための確実さの要である。したがって、憲法が率いる法体系は、ひとつのセオリー(理論)であるが、それのプラクティス実践は、国民という主権が行動することである。このふたつ、セオリーとプラクティス、法理体系と国民主権実践を結ぶ結び目 が選挙であり、選挙の公正さのみがそれらふたつを正しく結ぶことを可能にする。この事情をふまえて、冒頭の一文がある。
(ここでセオリーとは、日本語では理論と解されるのみであるが、古典ギリシャ・ラテン語の世界では、愛知的(哲学的)観想を指すことばであり、現代の欧米語にもその含蓄は伝承されている。そして近代法治国家の法による支配という思想の背景には、法が依って立つ自然法があるのだが、そればかりではなくて、セオリー(人間を超える神域における観想)の伝承が脈々と息づいていて、それぞれの時代の要請に応えるべき観想に応じて法体系を手直ししていく作業がある。)
憲法前文冒頭文そして憲法第一条に顕示される、この主権在民の思想は、法律の世界で生みだされたものではない。西洋の歴史はルネサンス以来、古代ギリシャへの憧れが底流に流れており、その深みにPhilosophia すなわち、人智を超えた知恵への愛がある。この時代の政治の在り方が民主政治であり、主権在民の源の歴史がここにあることは常識であって、わざわざ語るまでもないとされているのであろう。しかし、現在のように、この憲法を変えようという政治家が多くいる時には、この憲法の根っこがどこにあるかを確認することは、かえるにせよ、かえないにせよ大切なことである。
そして、主権在民の背景には、ラテン語で表される諺、Vox populi , vox Dei (民の声は神の声)という良識がある。現代において、心理学者ユングは、神は人々無意識の集合概念のたまものとしたが、この見方は、「民の声は神の声」の正しさを再確認する。したがって、主権在民を具現化する、選挙の公正さこそが、憲法が支えるこの国に体制にとっても、この国の主権者たる国民にとっても第一の利益であることは、間違いないと言えよう。
こうして、主権在民と法律という話題は、法哲学の流れになるであろうが、その話しを通らないでは、憲法と公職選挙法の話はできないように原告は考える。
憲法前文冒頭文、公職選挙法の第一条は、主権在民をうたう憲法によって、国家として他国を傷つけることのない平和な国家と平和な国内社会を形成しようという息吹に溢れている。
法律には、法哲学の側面とそれを実施するための諸規定の側面と二種類ある。憲法は、法哲学そのものである。その精神の下に、憲法の法文を実施するための、たとえば公職選挙法があり、その諸規定、細則などがある。
ここで、現実が法律に合っているかかどうか、の判断は、むずかしい。今のように常識がほとんど通用しなくなってしまった世の中において、実に難しい問題を裁判官は課されている。
公職選挙法は、法哲学から実際の諸規定までの流れが具体的にみてとれる法律である。第一条は、「憲法の精神に則 って」とあり、法哲学を述べている。
(引用始)
この法律は、日本国憲法 の精神に則り、衆議院議員、参議院議員並びに地方公共団体の議会の議員及び長を公選する選挙制度を確立し、その選挙が選挙人の自由に表明せる意思によつて公明且つ適正に行われることを確保し、もつて民主政治の健全な発達を期することを目的とする。
(引用終)
つまり、日本国憲法の精神のひとつの具現化が、この公職選挙法であることが示されている。「法の精神」つまり憲法の精神が公職選挙法に示されている、という宣言が、ここ、同一条でなされているのである。
このように、公職選挙法に違反するかどうかを考える際には、実は、同一条や、憲法、前文、15条などの法哲学の部分と共に考察しなければ、この法律をめぐる議論は本末転倒の議論になりかねないと、原告は思料する。
3. 答弁書が依拠している判例は今次原告の訴えにはあたらないのではないか、という考察をする。
.3−1.関係法文
.公職選挙法(衆議院議員又は参議院議員の選挙の効力に関する訴訟)
第二百四条 衆議院議員又は参議院議員の選挙において、その選挙の効力に関し異議がある選挙人又は公職の候補者(衆議院小選挙区選出議員の選挙にあつては候補者又は候補者届出政党、衆議院比例代表選出議員の選挙にあつては衆議院名簿届出政党等、参議院比例代表選出議員の選挙にあつては参議院名簿届出政党等又は参議院名簿登載者)は、衆議院(小選挙区選出)議員又は参議院(選挙区選出)議員の選挙にあつては当該都道府県の選挙管理委員会を、衆議院(比例代表選出)議員又は参議院(比例代表選出)議員の選挙にあつては中央選挙管理会を被告とし、当該選挙の日から三十日以内に、高等裁判所に訴訟を提起することができる。
公職選挙法 第二百五条 選挙の効力に関し異議の申出、審査の申立て又は訴訟の提起があつた場合において、選挙の規定に違反することがあるときは選挙の結果に異動を及ぼす虞がある場合に限り、当該選挙管理委員会又は裁判所は、その選挙の全部又は一部の無効を決定し、裁決し又は判決しなければならない。
3−2−0 判例原文 関係個所 抜粋
事件番号最高裁判所大法廷判決/昭和38年(オ)第1081号より抜粋
判決日付:昭和39年2月26日
判示事項:1.公職選挙法第204条によって訴訟を提起できる選挙人はその属する選挙区の選挙人に限られるか。
参照条文:公職選挙法第204条、憲法32条(関係法文:日本の法律以外に世界人権宣言9、国際人権B91・2、この註は、引用者))
主文:本件上告を棄却する。
理由:(以下、分かち書きと付番は引用者による)
上告人の上告理由第一点について。
論旨は原判決には公職選挙法204条の解釈適用を誤った違法があると主張する。
しかし、同条の選挙訴訟を提起しうる選挙人とは当該選挙区に所属する選挙人に限る 趣旨であると解した原判決の判断は正当である。@
けだし、右規定がいわゆる選挙訴訟の制度を認めた所以は、A
選挙が選挙区ごとにおこなわれるものであることに鑑みB、
その選挙区の選挙に参加しうる権利を有する者にその結果の違法を主張する途を与え、C
もって選挙に関する法規の適用の客観的適正を期している法意であると解するのが相当であるからであり、D
かつ、右規定は憲法47条が両議院の議員の選挙に関し、選挙区その他選挙に関する事項を法律にゆだねて、E
各選挙区を一個の単位として議員を選出せしめることにし、F
その選挙の実施、管理などの手続きは法律をもって規定しうることに由来するものである。G
したがって、原判決には所論のような違法はない。H( 以下、省略。理由の文章の番号は引用者による)
3−2−1 判例文「けだし、右規定がいわゆる選挙訴訟の制度を認めた所以は、」Aについての考察.
判例文Aの冒頭、「右規定」とは、公職選挙法204条のことであると解釈される。この判決文は、204条が認めているのが「選挙訴訟の制度である」と述べている。
一方、204条の条文は以下のとおり。
「・・、その選挙の効力に関し異議がある
選挙人又は公職の選挙者(括弧内選挙者の詳細説明)は、
・・・の選挙管理委員会を被告とし、
当該選挙の日から30日以内に、
高等裁判所に訴訟を提起することができる」
これによると、公職選挙法204条が前提として認めているのは、まず、
選挙の効力について異議があり得る
という状況判断である。人間のすること には、いかに完全をめざそうと誠意精真をつくしても、ミス・間違い・怠りを防ぎきるとはいえない、という人間の性への洞察がある。
上記2,で見たように、公職選挙法は、選挙の管理方法の規定をバラバラに並べた規定集にあらずして、第一条の法哲学の具現化として構成されている法律である。204条と205条は、選挙の効力についての連番の条文であり、よって、別々ではなくて必ず共に理解されなくては、その真意が理解されない。
205条では、訴訟以外に、「選挙の効力に関し異議の申出、審査の申立て」が、「訴訟の提起」と並列して掲げられている。前二つ、異議の申し出、審査の申し立て、については具体的に方法が示されていないのである。しかし、それらが訴訟の提起という方法 と同じ扱いを受けることが205条に述べられているので、異議の申し出、審査の申し立ては、訴訟の提起という型式の内容であろう。訴訟の提起は、異議を申し立てのための手段であり、それにより高等裁判所による客観的立場からの、選挙効力についての審査を受けることができる。
これは、高等裁判所に対しては、異議申し立てがあれば、客観的審査をせよ、ということである。
そして、204条では異議申し立てをする権利を選挙人(有権者)と選挙者(候補者)に認める、という宣言をしていることになる。
そして、その異議申し立てにあたって、被告としては、衆院選・参院選の各の場合に、それぞれに相応しい「選挙管理委員会を被告とし」て、とある。つまり、選挙の効力について説明責任 ・実施責任を負うのは、選挙の管理運営を任されている管理委員会であるという当然の見解が示されている。
公職選挙法の一条に明らかなように、「憲法に則って」選挙を管理をするとあるので、「公正な選挙」(憲法前文第一文)によってはじめて発生する「選挙の効力」により、代表者が国政の「厳粛な信任」を受け取る、という構造である。したがって、その間をとりもつ選挙管理委員会は、効力についての釈明責任をもつのである。
この異議申し立ての権利を、選挙者(候補者)のみならず、選挙人(有権者)にも認めているのは、憲法12条「この憲法が国民に保障する自由及び権利は国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」に関係するものであろう。
「正当に選挙された」(憲法前文 冒頭文)「国会の代表者を通じて」「日本国民は」「行動し」、それによって「確保される自由のもたらす恵沢」は、「国民の不断の努力によって保持すべき」(憲法12条)であり、その不断の努力の具体的実践を保障するのが、公職選挙法の204条であろう。このように、交渉選挙法は、「憲法に則って」(同一条)構成されている。
以上が、判例文A「右規定がいわゆる選挙訴訟の制度を認めた」が含蓄する、交渉占拠法と憲法によって構築される人間社会構築関係の像であると原告は理解する。
さて、これに「所以は」をつけ加え、第三文A「右規定がいわゆる選挙訴訟の制度を認めた所以は、」でAの全文になる。デジタル大辞泉によれば、所以とは、漢文訓読の「故になり」の音変化からと推定しており 、その意味はわけ、いわれ、理由とある。したがって、判例文は、公職選挙法204条が「いわゆる選挙訴訟の制度を認めた」「理由」を次に述べている。
3−2−2判例文Bについての考察
引用:判例文B「選挙が選挙区ごとにおこなれるものであることに鑑み」(引用終)
ここで、B「選挙が選挙区ごとにおこなわれるものであることを鑑み」というが、この述語「鑑み」るの主体は誰であろうか?
これを考察するにあたって、第一に、204条にあたる。ここには、選挙が選挙区ごとに実施される事実について直接はふれていない。以下、詳らかに確認する。204条が選挙区について言及しているのは二か所である。その一か所目は、以下。すなわち、(引用はじめ)
公職の候補者(衆議院小選挙 区選出議員の選挙にあつては候補者又は候補者届出政党、衆議院比例代表選出議員の選挙にあつては衆議院名簿届出政党等、参議院比例代表選出議員の選挙にあつては参議院名簿届出政党等又は参議院名簿登載者)(引用おわり)
つまり、ここでは、この異議申し立てをする主体者として、その選挙区における各選挙者個人のみならず、カテゴリーとしてはその上位に立つ(あるいはカテゴリーを別にする)、候補者届け出政党、比例代表制における参議院名簿登載者をあわせて列挙している。
つまり204条は、選挙を「選挙区ごとに行われるものであることを鑑み」るよりは、むしろ、それぞれの選挙者の属する政治的主張のまとまりであるところの政党が異議申し立ての主体になることを許可している。各選 挙区における単位的性格については言及がなく、むしろ、選挙区横断的に異議申し立てを整理している。
次に、204条が選挙区に言及するのは、被告を指定する箇所である。(引用はじめ)
衆議院(小選挙区選出)議員又は参議院(選挙区選出)議員の選挙にあつては当該都道府県の選挙管理委員会を、衆議院(比例代表選出)議員又は参議院(比例代表選出)議員の選挙にあつては中央選挙管理会を被告とし、(引用終)
この箇所は、公職選挙法第5条と呼応している。(引用はじめ)
(選挙事務の管理)第五条 この法律において選挙に関する事務は、特別の定めがある場合を除くほか、衆議院(比例代表選出)議員又は参議院(比例代表選出)議員の選挙については中央選挙管理会が管理し、衆議院(小選挙区選出)議員、参議院(選挙区選出)議員、都道府県の議会の議員又は都道府県知事の選挙については都道府県の選挙管理委員会が管理し、市町村の議会の議員又は市町村長の選挙については市町村の選挙管理委員会が管理する。(引用終わり)
したがって、204条の二番目の箇所が着目しているのは、各選挙区ごという選挙における区分けではなくて、「選挙の事務」を「管理」する(公職選挙法第五条より引用)選挙管理委員会ごと、という区分けにむしろ着目しているのである。公職選挙法が選挙管理を 旨とする法律であることから、これは当然である。
公職選挙法においては、選挙管理委員、選挙管理委員会がまず組織される。選挙管理委員会であり、公職選挙法第5条におけるごとく、選挙管理委員会は、「選挙の事務」を「管理」担当するものである。選挙区などの物質ではなくて、この法が重要視するのは、まずは人、そして人の組織である。
そして、選挙事務を管理するものとして、選挙の効力について、自らの努力の成果として自信をもって応えるべきである、とするのが204条ではないか。ここには欧米社会の現場主義、現実主義、プラクティカルな思想がみられるようである。日本社会においては、選挙効力を問われるだけで、その選管の落ち度になってしまうようなウェットでシャイ な性格があるかもしれない。それは、現実からの遊離を生む、現実に対応する勇気に欠く、惰弱な姿勢であることを、日本社会はそろそろ認めるころである。それこそが、福一の爆発への道であることを、今、皆で反省するべきではないだろうか?
「過ちて、改めざる、これを過ちという」という孔子のことばがある。
事情通の大人であれば、自らの落ち度によらなくとも諸事情により、また、現実の変化に対応しきれずに、結果的に効力について問題が生じる場合もありえることが理解されているはずだ。その場合には、担当者として誇り高く責任をもって、気が付かなかったことを是正することこそ、「正当な選挙」を管理するプロの仕事人である。このような積極的なあり方が、204条、205条には 表れていると原告は慮るものである。
その選挙が実施された「当該」選挙管理委員会が、異議申し立ての被告として204条において指定されているのは、その選挙管理委員会をいじめるためでなくて、不名誉と罵るためではなくて、むしろ、高貴な訂正を勇気をもってなすに相応しいからであろう。その現場であるからこそ、細かい事情がわかり、次回からの向上に生かす最高の是正方法を見出すことができるからである。選挙管理における現場主義を、204条は採用している、と言ってもいいかもしれない。
さて、公職選挙法5条の三によって、中央選挙管理委員会は、各選挙管理委員会に対して、「技術的指導および助言」をし、「情報提供の要求を求めることができる」とあるので、各選挙管理委員 会はバラバラではなく、全体でひとつの組織であることが示されている。
以上、判例における第三文Bの「選挙が選挙区ごとにおこなれるものであることに鑑み」における「鑑み」る主体について考察してきたが、204条を詳しく調べた結果、204条の起草者が、「選挙が選挙区ごとに行われていることに鑑み」ていることは、少なくとも204条に表れていない、という結論が導かれた。これについては判例における上告文などの背景情報などによって明かになることもあろうと推測されるが、答弁書にもそこまでは言及されていなかったので、原告側の準備書面としても、これについては、ここまでにとどめる。
以上より、判例文B「選挙が選挙区ごとにおこなれるものであることに鑑み」の「鑑み」 の主体は、204条(起草者)ではないと解釈される。
3−2−3判例文Cについての考察
引用C「その選挙区の選挙に参加しうる権利を有する者にその結果の違法を主張する途を与え、」(引用終)
前半部、「選挙に参加しうる権利を有する者」とあるが、有権者のことであろうか。有権者は、選挙において、投票しようとも投票せずとも、選挙の結果に関係するのである。棄権というのは、ひとつの典型的な選挙行動である。投票率という形で、選挙結果の大切な部分を構成する。好むと好まざるとによらず、有権者はすべて、選挙に参加しているし、参加せざるを得ないのである。これが、2013年における常識であると原告は考えるが、昭和39年においては、事情が異なったのであろうか?ある いは、現在でも法曹界全体あるいは一部においては、「選挙に参加し『うる』権利を有する者」という表現および、表現に応じる実情が常識的に理解されるのであろうか?
さて、この箇所には、「その結果の違法」とあるが、これは204条にも205条にない表現である。205条にあるのは、「選挙の規定に違反」という言葉である。
選挙管理委員会は管理をする機関であり、管理上の規定の違反はありえるが、「結果の違法」が、選挙管理委員会を被告として提起される訴訟において、何を意味するのか、不明である。
これは、また、204条にある、「選挙の効力についての異議」ともニュアンスを異にする。したがって、「選挙結果の違法の主張」という公職選挙法204条、205条にみられな い文言を用いる故に、この判例の特融の事情がここにあると推定せざるをえない。
少なくとも、この事情は、今次の訴訟とはまったく様相を異にするものである。なぜなら、今原告は選挙の「結果の違法を主張」していない。今次原告は、選挙のプロセスの在り方について異議を申し立てたのである。選挙管理委員会は、国民から信託を受けて、公のお金を使って公の大切な仕事をしているのであるから、異議申し立てにいて、公に説明責任を果たすべきであるというのは、もっともなことである。
2013年衆院選において、福島県内100%の投票所で、閉鎖時刻のくりあげをしたことについて、説明責任を果たすのは当然のことである。204条は選挙管理委員会に対して異議申し立てをすることは当然と してその機会を、選挙人、選挙者に与えている。しかし、上記詳細に調べたように、それは選挙区ごととは一言も書いていない。選挙管理委員会の管理事務において、選挙区ごとに異なることがあろうという事態は、公職選挙法は例外を除いて想定していないのではないか。
3−2−4判例についての結語
以上の考察により、判例は、確かに同じ交渉選挙法204条を用いてはいるが、今次原告の訴えとは、重ならない異なる状況下で(「結果の違法」をめぐって⇔『管理プロセスへの異議』をめぐって)おこなわれた判決であり、異なる用語で(結果・違法・主張⇔異議・管理プロセス・申し立て)論じられたことであり、今次原告のケースには、適用されえないと結論する。
4.公職選挙法204条における当事者適格性を、答弁書が引用する判例より拡大を求める、そのリーナビリティ(論理的正当性)
4−1 答弁書の主張する、204条当事者適格性への限定について
さて、答弁書にあった昭和39年2月26日最高裁判決は、
{判示事項}1.公職選挙法第204条によって訴訟を提起できる選挙人はその属する選挙区の選挙人に限られるか)について、
「{判決要旨}1.公職選挙法第204条によって訴訟を提起できる選挙人は、その属する選挙区の選挙人に限られる」
と司法判断を下している。
この判例においては、選挙「結果の違法」性を「主張」することが204条によって訴訟提起することであるとしている。
一方、今次原告は、選挙結果ではなくて、選挙プロセス(管理運営方法)における問題性を指摘するために、204条に法によって保障されている異議申し立てをするものである。なぜなら、これまで述べてきたように、選挙の公正さを保つころが、国家の礎であるからである。国民主権が被告は選挙管理委員会であり、選挙の管理を担当する公務員であるが、公務員も国民であって主権者であることにおいては、同じ立場である。公務員は、憲法99条によって、国民は憲法12条によって、憲法をあるいは憲法に保障された自由と権利を、あるいは擁護し、あるいは守るよう宣言されて いる。つまり、共に、憲法を守ってこの国を支えていく立場にある。その前提において、この訴訟ははじめられていることに留意されたい。さて、被告の答弁書にあげられた判例における論証が、今次訴訟に適用されるに適当か否かについては確認作業が必要であるとし、次の項目で詳細な考察を試みるものである。
4―2 204条における当事者適格性拡大のリーズナビリティ
さしあたり、判例の結論のみを受け取ったと仮定して、立論する。
つまり、国政選挙において204条による申し立て訴訟を提起できる選挙人は、その属する選挙区の選挙民に限る、
という判例の結論を前提とし、これについて、今次原告は、204条原告の当事者的確性の拡張を求めるものである。
その論旨は以下で ある。
国政選挙においては、それぞれの地方で選挙人としての国民が、議員を選ぶことによる国民の主権行使(論拠:憲法前文冒頭文)には、二つの異なる側面がある。
第一の側面は、それぞれの有権者が自らの属する選挙区で一票を投じることによって、それぞれの代表者を決定選任することである。この側面においては、判例に述べられているように、選挙区単位で選挙が管理されていることを原告は首肯するである。
第二の側面は、選ばれた代表者である国会議員が、厳粛なる信託(憲法前文)を受けて代表者として、国会において、それぞれの案件について審議・投票などによって決定することである。公職選挙法第一条に、
この際、それぞれの選挙区でそれぞれの選挙人の厳粛なる信託を受けてその地 方から立つ議員が、決定に関わる議案は、自らが立つ選挙区の特殊な事柄に限らない。その選挙区とはまったく異なる地方についての審議をすることもある。
たとえば、福島選挙区にいる人にとっても、東京にいる人にとっても、沖縄の普天間基地や辺野古の問題は地域性を異にするとも言えよう、また、少なくとも選挙区が異なることは確かである。しかし、普天間基地あるいは辺野古に装備されたオスプレイの飛行ルートは、東京も福島も通るのであって、飛行中に墜落する確率が他の戦闘機より高いオスプレイ装備と切り離せない辺野古基地の問題は、ここで大きな問題になる。おりしも、明日3月3日ひな祭りの日より、福島の上空をオスプレイが非行する予定であると報道された。
このように、国政においては、一地方だけにしか関わらない案件は、むしろわずかなであって、国会議員は自分の立つ選挙区地盤についての議案のみならず、全体に関わる案件について決定していく権利を、国民のひとりひとりから厳粛な信託によって、委譲されている。
したがって、どの地域の人々にとっても、その属する選挙区以外から立つ国会議員が、正当な選挙によって選ばれているか、それとも、正当でない選挙によって選ばれているかは、国政の質を大きく左右する。国政の質によって、国民と国土の運命が、生死を分けることもある、というのが、今の国民の実感である。それは、言うまでもなく、利益と不利益の分岐点となり得る、ということである。
したがって、国政選挙においては、 いかなる選挙区における選挙の効力についても、また、いかなる選挙区の選挙の不正・不手際・意図されないミスによって、選挙の公正さがうたがわしいときには、いかなる選挙区の選挙人であろうとも、不利益をこうむるのであって、204条、205条に沿って訴訟する権利を得ることを原告は主張する。
4−3 付言:福島について
さて、被告である福島選挙管理委員会の委員におかれては、2011年3月11日より、福島周辺の人々とともに、人類未曾有のカタストロフィの中心地となってしまった故の苦難は、いかばかりであるかと思うのである。
しかし、その苦難はいまや日本中に広がりつつある。2011年からの汚染水拡散、2012年から始まったガレキ拡散、今も間断なく続く放射線 物質の空中放出により数十年後には、日本中が福島の今の苦難の状態を共有することになるだろう。
その先人となった福島の人々のことを、原告ひとりひとりは日本の他の人々も世界の人々も共に、日夜深く傷むものである。また、共に、苦境からの回復を図らんと望むものである。
わたしたちが、励ましを受けるバナーとしたいのは、憲法13条、
「すべての国民は、個人として尊重され」、「生命、自由、幸福追求に対する国民の権利」は、・・「立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」
国政上、生命、自由、幸福追求に対する国民の権利が、最大の尊重をされるのが、この国の政治の目標なのである。目標にむかって、共に力をあわせようではないか。
そして、このような困難な状況からの回復は、皆の力をあわせて始めて達成されるものであり、そのためには、どのような一票をも大切に生かす、「公明且つ適正な選挙」(公職選挙法第一条)による、民主政治の健全な発達(公職選挙法第一条)こそが必須である。そして、これこそ、公職選挙法第一条にうたわれる、この法の目的であり、したがって必然的に選挙管理委員会のみなさまの日々の目標でもあろう。
3.11以来、侵されがちな権利を高らかにうたう、憲法97条もあげ、わたしたちの目標を高く掲げたこの憲法を味わい、こころあたたかくお隣を大切にする東北人が中心になってイニシアティブをとってこそ、3.11からの回復をはかれるであろうことを、心から望むものである。
憲法97条「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由擁護の努力の成果であって、これらの権利は過去幾多の試練に堪え、現在および将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。」
最後に、この誇り高い仕事を自らの職務にしておられる公務員の方々が、憲法99条にあるように、「この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」公務員としての自覚をもち 仕事に邁進しておられる幸福に共に感謝するものである。そして、公正な選挙のために、まだ努力できることがあれば、すばらしい郷土福島と、福島人の誇りにかけてのいのちの回復のために、今一つの勇気をもって実行されんことを切に願うものである。
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