猪瀬氏自ら副知事専用トイレの設置を求めたとか、「働かないで家でごろごろしている主婦が、子どもを産まないんです」「パラサイト・ワイフというのがでてきた。つまり変な生命力のない人たちがたくさん生じていて、お金を持ってぶらぶらしている」「そういう人は淘汰してもらうなり何なりしてもらわない
といけない」と発言していたとか、紹介されています。
自民党都議の服部議員が茨城空港の問題に関する猪瀬氏の発言を批判して、「むだな投資であるがごとくの発言を行う。他の自治体の首長、議員を公然と批判するのは甚だ失礼だ。互いの自治を尊重することは地方分権の基本だ」と語っています。これは重要な指摘です。
*
短期集中連載
『副知事だった人の光と影』
第一回
(1)特殊法人・公益法人の専門家
猪瀬直樹はハイヤーが好きだ。道路公団民営化委員のとき、彼が
使ったハイヤー代の請求が600万円になったという。この代金は、国
民の税金によって支払われたが、その猪瀬は、タクシーそのものも
気になるようだ。「日曜日なので僕は仕事場でなく郊外の自宅から
タクシーで出発した。もちろんタクシー代は自腹である」(『続日
本国の研究』)。都内で開催された「行革断行フォーラム」に出席
したことをこう書いている。小泉首相と石原伸晃行革担当大臣の下、
行政断行評議会委員だった2000年のことだ。
会議に出席するために仕事場から向かうか、自宅から向かうか、
そして、曜日がどうかも気になるようだ。タクシーで行くのか、電
車で行くのかは、個人の嗜好でどうでもいいのだが、「タクシーが
自腹」だということを言いたいようだ。それは、この私に支払わせ
言わないし、その作品がすべてとなる文筆家は、とくにそうなる。
でもこの方は違っている。「フォーラムは僕が司会」(同)と、自
分の役割を述べている。「無事終えてほっとしたあと役人はエレベ
ーターが閉まるところで、それではと頭を下げて終わり。僕はたっ
たひとりでエレベーターを降りて外に出てタクシーをつかまえるの
である」(同)となる。
見送りに役人が出てきても、ここで結構ですと、謙虚に申し出て、
お引取りを願ったりはしない。ひとりになるのは嫌いなようだ。
「別にSPをつけろとは言わないが、せめてタクシーに無事乗った
のかどうかぐらいは確認するのが普通ではないか」(同)。ここで
もタクシーが出てくる。えらい人は、歩いたり電車に乗ったりはし
ないようだ。マイケル・ムーア監督は、『キャピタリズム?マネーは
踊る?』『シッコ』などの作品を発表したため、ボディガードが必要
となる。事実、ボディガード氏が盾となり、その身を守っている。
多いときには九人いたというが、猪瀬も必要ならば、それこそ自腹
で雇ってほしい。
その身が危険でSPが必要なのだが、猪瀬の場合は額面どおりに
は受け取れない。電車よりもタクシー、タクシーよりもハイヤー、
それも自己負担ではなく、官費による支払いを好むのは、猪瀬にと
っては、アクセサリーとなるからだ。SPも、同じアクセサリーと
思うとよくわかる。行革断行評議会の目玉は、官の経費削減だった
はず。猪瀬は無駄な経費(タクシー・ハイヤー代)であることを、
身をもって明らかにする。
(2)深い学識に脱帽
猪瀬は政府の委員も好きなのだ。道路公団民営化委員になるのは、
自著がその道を付けたと説明する。「だが僕には『日本国の研究』
で特殊法人や公益法人(社団、財団法人)を調査・分析して、その
生態をもっともよく認識しているという自負がある」(同)。小泉
元首相が変人ならば、自分は「変な作家」であるとして、自己評価
は高い。特殊法人や公益法人の「生態をもっともよく認識している」
とは、他人ではなく自分の評価だから確かなものだ。
『日本国の研究』のあとがきには、「タイトルでおわかりのよう
に本書は、立花隆氏の『田中角栄研究』を念頭に置いて企画された」
と書いている。立花氏の書は、文字通り田中角栄の研究だが、猪瀬
の研究は一個人ではなく、国家そのものでかなり大きい。研究範囲
が国家となると、学術的には、猪瀬のこれも好きな「ミカド」を飛
を「いい人」だとする。小泉純一郎も「いい人」だとするが、小泉
がいい人であるのは簡単な理由で、自分を政府の各種委員にしてく
れたからだ。一方の小渕の場合は、かなり傑作だ。これも『続日本
国の研究』からだが、「天皇制についての深い学識に敬意を表しま
す」と、小渕が話しかけたくれたことを、その根拠としている。
猪瀬を副知事にしてくれた石原慎太郎の「いい人」は、「敵と味
方」の味方なのだが、それとはかなり違っている。猪瀬は、自分の
ことをほめる言葉そのものを重視する。ほめてくれる人が、どうい
う人格なのかは、問題とはならないようだ。この稿が書かれたのが
1998年7月なので、小渕との出会いは、その6、7年前となる。「僕の
姿をとらえると小走りに近寄り、深々とお辞儀をして、〈天皇制に
ついての深い学識に敬意を表します〉というようなことを述べた」。
「テレビのスタジオで、このいい人に挨拶された。小渕といえばあ
の〈平成の人〉である。だから僕が天皇評論家らしい≠ニ知って
いたようだ」。
小渕は当時、自民党の幹事長をしていた。与党の幹事長となると、
その存在感は、並の大臣の二、三人分となる。天皇制の深い学識に
敬意を表してくれる人が、よくない人だなんて言えないのだろう。
でも、その天皇制のことを考えると、気になってならない人がいる。
猪瀬が師だと主張する、政治思想史研究者の橋川文三氏のことだ。
すでに故人となられたが、猪瀬に被された「深い学識」の意味を、
氏に聞きたくなる。
(3)副知事は影の人
石原都知事はマスメディアにしばしば登場したが、一方の副知
事は、あまり登場しなかった。2010年3月、予算を審議する都議会
本会議を傍聴した。傍聴席から見て議長の右側の席が、知事をはじ
めとした幹部の局長などの席だ。一番前列の議長に最も近いところ
が知事の椅子で、そこには、小さなクッションがあり、机の上には、
ペットボトルが置いてある。反対側の議員席は、傍聴席の位置から
はすべては確認できないが、クッションもペットボトルも見つから
ない。その二つがあるのは、知事席だけとなる。議員、そして局長
たちが、自分の席に着く。
石原知事は最後にやってきたが、その前に一人、異質な人物が登
場し、あたりを睥睨していた。そして、その後に石原が入ってくる。
どうもその人物は、警備担当者のようだ。首相とか大臣となるとわ
かるが、単なる知事なのにこの警備となる。しかも、参加者が特定
されている本会議場である。彼の日頃の言動が、警戒をさせるのだ
ろう。
知事の右側の三つが、三人いる副知事の椅子となっていて、その
一番右側が猪瀬直樹副知事の席で、就任当時は三番手の副知事だっ
た。その猪瀬の発言の機会は、ほとんどない。副知事に就任して、
唯一マスメディアを賑わしたのは、参議院議員宿舎の建設のことだ
ろう。それ以外は、自ら求めた副知事専用トイレの設置ぐらいだ。
このトイレは、あまりの高額のため、かなりの話題を提供した。
就任する前には、マスメディアに、道路公団の民営化で頻繁に登場
していた。猪瀬は、道路関係四公団民営化推進委員会の、最後まで
残った二人の委員のひとりになる。七人いた委員の内、五人が途中
辞任や欠席を続けていたが、猪瀬はかなりしぶとい。ちなみにもう
一人の人物は、評論家の大宅映子氏であり、この二人が、当時の小
泉首相と、官僚組織の覚えがめでたいとなる。
道路公団民営化ではしゃいでいたあの猪瀬が、都庁、そして都議
会では我慢をしていたようだ。委員会で猪瀬が果たした役割は、櫻
井よしこ氏や、同じ委員で政治学者の田中一昭氏が、その著作で赤
裸々にしている。こちらは我慢できない酷さなのだ。
小泉内閣で進められた道路公団の民営化は、官僚と道路族の思惑が
成就し、予定通りの決着を見る。この結末は、「小泉改革」をその
名のとおり改革と考えていた人には、とても耐えられるものではな
い。櫻井氏も田中氏もその思いだが、どうも間違っているようだ。
中身のない人物に、改革の中身を求めるのは、無いものねだりとな
るからだ。
第二回
4)主役はボクちゃんです
櫻井氏は、3人の人物をあげて、改革失敗の理由を指摘する。
第1には小泉首相。「(首相の)無策故の失敗ではなく、首
相は確信犯だったことを示している。政局の人、小泉純一郎
にとって、政策は二の次である。政局に勝つことを優先させ
る考えの前には、改革はスローガン」(『権力の道化』)と、
いうものだ。第2には、石原伸晃国土交通大臣(行革担当大
臣)を取り上げ、「氏のやる気のなさと無能」と、切り捨て
る。伸晃の親は石原都知事であり、石原と櫻井氏の関係(言
論上の)がどうであるかは知らないが、その息子には辛辣だ。
第3には、猪瀬の登場となる。「複雑なわりには底が浅く、
論理の矛盾を容易に露呈する氏の主張を、時間の経過に沿っ
て辿っていくと、小泉首相の改革案を改革案であるかのよう
に繕い、世間の目をごまかしてきた氏の役割」となる。小泉
や石原と同列に並べられ、猪瀬の鼻は高くなる。
猪瀬の「長(おさ)好き」は、「委員好き」とともにかな
り知られている。民営化推進委員会の最初の会合で、自分を
委員長代理にしてくれと売り込んでいる。委員長は事前に決
まっているため、いかに厚顔の猪瀬といえども、押し退けら
れない。そこで代理となる。事前に各委員に根回しをするが
良い返事が聞けない。結果は、委員長代理就任は実現しない。
櫻井氏は猪瀬のことを、政界に影響力を持つ著名な人物から
聞いた発言として、「国交大臣になりたいのだ」とも明かし
ている。
傑作なのは「主役は〈僕〉」のくだりだ。猪瀬が執筆した、
『道路の権力』のことを述べている。「頁をめくると、〈僕
を主役にして!主役は僕だよ!〉という著者の声が聞こえて
くるかのようだ。随所に幼児性が覗いていて、小さな子ども
の世界を見ている気分になる。つい、〈一体、君は何が欲し
いの、僕ちゃん〉と尋ねてやりたくなる」。彼にもオモチャ
が必要のようだ。
もうひとりの田中氏の著作は、『道路公団・偽りの民営化』
で、ここでも猪瀬が取り上げられている。「…石原大臣は、
国交省と道路族議員の御用聞きで終わった。族議員は、実際
に彼等の力を示してのけた。総理の認識の甘さである。さら
に、改革のヒーローが実は国交省と道路族と密通していた。
いうまでもなく、作家・猪瀬直樹委員である」。今度は(不
義)蜜通なので、慰謝料を支払って婚姻解消だ。道路公団の
民営化で、引き合いに出されるのが、国鉄の民営化となる。
委員の中に、国鉄分割民営化の体験者がいるからだ。その人
物は松田昌士氏で、国鉄再建実施推進本部事務局長から、J
R東日本の社長、そして会長を歴任する。
(5)はじまりは国労つぶし
道路公団民営化への思いは、国鉄ではうまくいったのに、道
路公団はどうしてだめなのか、となる。でも、道路公団と国
鉄は、おなじ民営化であっても、「敵」の存在があるか、な
いかの違いだ。敵という言葉が強ければ、「対抗勢力」でも
いい。このことの理解なしには先には進めない。国鉄の民営
化は、民営化そのものに加えて、国労つぶしがその目的とな
る。当時の政権は、社会党(中心)にとって代わられるかも
しれないという危機感があった。政権与党が、官僚・財界、
マスメディアと一体となって、阿吽(でないかも知れないが
)の謀議の結果となる。
政権の維持には社会党を潰せばいい。社会党を潰すのは総
評を潰せばいい。総評を潰すのは官公労を潰せばいい。官公
労を潰すのは国労を潰せばいい。国労を潰すのは国鉄の分割
民営化だ。となる。この考えは、当時の総理だった中曽根康
弘が明らかにしているが、世の常識ともそれほどの違いはな
い。
労働組合は、道路公団にも、そして膨大な数ある関連企業
にもあるはずだ。でも、それらの存在は、権力サイドの「敵」
となるとは聞かれない。総評・社会党における国労とおなじ
役割は果たしていないからだ。理由は他にある。権力にたい
する敵対勢力の力が衰えたから、自民党の衰退は始まってい
る。そのため、この時の争いは権力集団の内部となる。
道路公団の民営化も、しょせん権力サイドの争いに過ぎなく、
利権の分捕り合戦というものだ。その中で猪瀬は、よく「権力
の道化」の役割を果たしていたが、その猪瀬を今度は石原が拾
った。
1946年生まれの猪瀬は、70年安保世代。信州大学の学生時代
は、全共闘議長をしていたという。この時は代理が付いていた
とは聞かないので、彼の得意の顔が見えるようだ。信州大学の
全共闘仲間に知人がいたので、その当時の猪瀬の言動は聞いて
いた。『ミカドの肖像』で登場したころだ。70年安保世代に限
らないが、人の人生の軌跡はいろいろとなる。環境は変わった
が、信念はそのままに、労働運動の場で、社会運動の場で活動
を続けている人がいる。180度変わって猛烈サラリーマンとなる
人も、権力の走狗となる人もいる。
(6)幼児に失礼な幼児性
変わったのがけしからんとは言わない。いろいろあっていい
はずだ。そして、疲れ果て隠遁してしまった人も、物故された
方もいる。国会議員という政治家になった人物に限っても、所
属する政党は、それこそいろいろとなる。あの時代の若者で、
その環境が許されているという条件は付くが、その過半はその
場は違っていても、運動を担っていたはずだ。そのことで、特
に非難される謂れはない。それこそ、その後に続く人生はいろ
いろあってみんなよく、猪瀬が変わったとしても、特に不思議
とは思わない。でも、猪瀬に限っては注意が必要だ。それは、
変わったのではなく、「変わっていない」のではないかと思え
てしまうからだ。
櫻井氏が指摘するごとく、猪瀬には、「幼児性」を随所に見
てしまう。「俺はストリートファイトで負けたことはない。い
つでも相手になってやる」「俺は負ける喧嘩はしない」「刀や
包丁で切りつけられたとしてもそれを防ぐ手袋があるといって
見せられた」(田中委員談)」(いずれも『権力の道化』)。60
を過ぎても腕力勝負となる。困ったオジサン(おじいさん)だ。
まだ続く。「融通無碍」「無節操」「(文章の)捏造」「都合
がわるくなると前言を翻す」「人を制してでも自説を演説した
がる」「気に入らない意見に対しては恫喝まがいの反論をする」
「特に女性の川本委員(民営化委員・マッキンゼー・アンド・
カンパニー)への反撃は議論というより脅迫」と、猪瀬につい
ては、「幼児性」そのままの言動が読み取れてしまう。
第三回
(7)子分は親分の真似をする
70年前後の時代を、全否定するつもりはない。でも、今に
なって思えばここに指摘した猪瀬の言動は、当時の若者たち
とダブってくる。その若者たちは、現実社会を経験し、その
言動も、それなりにまともな方向にシフトしている。当時の
ままに留まっていることは珍しい。その変化は、当然だがそ
れぞれで違う。でも猪瀬は、あまり変わっていないようだ。
というより、前に進むのではなくその道を逆行、つまり後退
している。
猪瀬の言動は、知事である石原と二重写しとなる。「無節
操」「都合がわるくなると前言を翻す」などの櫻井氏の指摘
は、石原について書いているのかと思えてしまう。加えて、
女性委員への反撃となると、石原そのものとなってしまう。
そして、なぜか、税金の使い方も同じとなる。石原は、溢れ
るばかりの家族愛と自己愛からか、都民の税金の使い方は大
胆だ。一方の猪瀬は、国税を、こちらはかなりセコイ使い方
をする。タクシーの一件は、週刊新潮(2005年5月)なのだが、
この金額を推進委員会事務局は、猪瀬の言うままに支払って
いる。委員活動以外の彼の著作活動(ゴーストか)に、役に立
ったのだろう。
猪瀬が、ハイヤーの手配を要請したところ、事務局は、他
の委員同様にタクシーを使うように求めている。でも猪瀬は、
官邸に手を回して迫ったため、事務局は渋々その要請に応じ
てしまう。権力者になりたがるこの人物は、権力者にすがる
のも好むようだ。とにもかくにもこのハイヤーは、土日を含
む二四時間フル活動となる。猪瀬のセコさは、親分の石原か
ら学んでいるが、そのスケールはかなり小さい。その猪瀬を
副知事の椅子に据えたのは、石原となる。外的要因があった
にしても、猪瀬が自ら売り込んだにしても、最終判断は石原
となる。
副知事なった経緯を述べている。「石原知事からの依頼も、
最初はお断りした。ただ小泉さんと石原さんの共通点は、貧
乏くさくないところで、いかにもという政治家特有のもって
まわった言い方をしない。官僚や族議員と対極のタイプ、直
観力の人である」(『東京から始めよう』)。小泉と石原を
「貧乏くさくない」と言うのは、自分を含めた貧乏人に失礼
だ。貧乏人といえども自分に誇りを持っている。単なる成り
上がりの猪瀬には、言ってほしくない。そして猪瀬は、いか
にも政治家特有のもってまわったいい方ばかりをする。猪瀬
の理解度は、子ども並みだといいたいが、じっと堪えて、そ
こまではいわないことにする。こどもに失礼となるからだ。
それでいて、民営化推進委員にしてくれた小泉と、副知事に
してくれた石原には義理がたく、お世辞をいうことは忘れな
い。「直観力の人」も、別にいえば、直感しか、言動のより
どころを求められない。ということだ。
(8)ボクもがんばる差別というものを
猪瀬が政府税制調査会の委員になるのは2000年9月で、2007
年6月から副知事となる。副知事に就任するのは、議会の同意
を得る必要があるが、税制調査会の猪瀬の発言が問題視される。
民間出身の副知事としては、石原子飼いの浜渦武生副知事が、
偽証により辞職(2005年7月)という先例がある。そのため、
一部ではその就任はかなり危惧されていた。
問題となった税制調査会の発言が、都議会で明らかになる。猪
瀬は、発言内容は間違いだとは主張していない。「働かないで
家でごろごろしている主婦が、子どもを産まないんです」「パ
ラサイト・ワイフというのがでてきた。つまり変な生命力のな
い人たちがたくさん生じていて、お金を持ってぶらぶらしてい
る」「そういう人は淘汰してもらうなり何なりしてもらわない
といけない」(本会議・2000年6月21日)。というものだ。淘汰
は「いなくなれ」ということであり、自然か人為的かのどちらか
ではあるが、要は、早く死ねとなる。
発言を撤回するのか、それとも謝罪するのか、との質問にこ
う答えている。「女性蔑視発言はしていません。女性の社会進
出が進むなか、〈働く女性が子供を産み、育てていくのに適し
た環鏡を税制面から整えるべきだ〉という考えから、年収を103
万円の枠内に抑えている人だけが税制優遇されてしまうことに
疑問を投げかけたものです」(本会議・2007年6月25日)。そし
て、特徴がない言葉を続ける。「子育てや仕事をしている女性
はもちろん、ボランティア活動やPTAなどの地域活動をして
いる主婦など、むしろ社会で活躍していく女性を応援していま
す」(同)。あの威勢のいい発言はどうしたと、言いたくなる。
歯が浮いてしまう。猪瀬は石原と違うのか、あからさまな女性
一般への差別は、それほどは見られない。そのなかでは、この
税制調査会における発言が広く知られるところとなる。思わず
本音を吐露してしまったのだろう。表面化しないと思ってか、
はたまた調子に乗ったのか。それにしても、石原親分と同様に、
すり替え好きのようだ。
猪瀬の文章に、次のものがある。副知事就任が決まった後、
都議会の各会派にあいさつに出向いたことを述べている。「議
員の数は少ないが、石原知事はきちんとあいさつしていた。部
屋は女性ばっかりで、印象は良家の夫人たち。なんだか石原フ
ァンクラブのような感じの人気で、僕のほうへは少しだけしか
振り向いてくれない」(『東京からはじめよう』2007年)これは、
「都議会生活者ネットワーク」を訪問した時の印象。猪瀬の女
性感は、自分を支持(味方)するのか、そうでない(敵)のかの判
断が、最初にくるようだ。この会派の議員たちは、猪瀬の副知
事就任に同意している。その後、「良家の夫人たち」は、どう
いう反応を示したのだろうか。石原のファンクラブを続けてい
るのだろうか。そして、自分たちを「良家の夫人たち」という、
猪瀬のこの記述のことは、知らないのだろうか。
この『東京からはじめよう』を読んで、少々意外に思ったの
は、現代社会の捉え方が、それなりに理に適っていたことだ。
一部ではあるが、その適っていた部分は、これまで知る猪瀬の
言動とは、かなり違っていた。加えて、その文体も違うので、
考え込んでしまった。この思いは、書籍の奥付を注意して見る
ことで、はじめて理解できた。著者が猪瀬個人だと思っていた
のだが、よく見るとそこには、「編著者―猪瀬直樹」と書かれ
ていた。つまり猪瀬以外にも、著者がいたということだ。ケー
ブルテレビ等のニュース番組を元に、本書が編まれていると記
されていた。でも、書籍のカバーには「猪瀬直樹」とあるばか
りで、他の著者の名は、どこを探しても見あたらない。櫻井よ
し子氏が猪瀬著となる書籍を、「同一人物が書いたものなのか」
(前掲)と指摘していが、一瞬、同じことを考えてしまった。
(9)マイノリティはきらいだ
石原慎太郎と猪瀬直樹、東京都知事と副知事だった。石原は
政治家であるとともに、作家でもあるようだ。一方の猪瀬は、
政治家と作家であることは石原と同じだが、これに役人が加わ
っていた。副知事という職は、役人そのものとして認識される
からだ。
その石原と猪瀬に共通していることは、マイノリティへの悪
感情となる。石原は自信があるのか、あるいは注意力が散漫な
のか、次から次とやり放題だ。一方の猪瀬は、悪知恵が働くの
か、それとも幼児性の結果なのか、それほど表面化はしない。
2人が、同じような考えを持ち、しかも、誰はばかることなしに
発言し、文章を記すのは、天皇に関わることになる。天皇こそ
マイノリティそのものだが、こちらの「好感情」は、「悪感情」
の裏返しのようだ。
尊王思想は、国学を背景として水戸学となり、攘夷思想と結
びついて明治維新の原動力となる。一方では、対抗するかのよ
うに、「佐幕開国」という考えが生まれている。幕府を補佐す
るという意味のため、佐幕となるが、幕府を支持する立場でも、
必ずしも反尊王ではない。幕末には、じわりじわりと水戸学が
その身に効きいてきて、佐幕で尊王という分類もできてしまう
。幕末の政治抗争は、尊王についての強弱はあるが、徳川と薩
長で、尊王を取り合っていた。これは、幕府か倒幕かの二者択
一であり、倒幕側が尊王、つまり天皇という「玉」を、その掌
中とする。話は単純なのだが、現実は錯綜する。尊王攘夷の思
想は、いつのまにか攘夷が開国に変わって、肝心の尊王も本来
の姿に戻ってしまう。つまり尊王は手段であり、その天皇はひ
とつの機関となる。
第四回
(10)勤皇の志士に叱られる
石原の天皇観は、次に代表されるだろう。「日本の天皇制
は諸外国の王政とはまったく異なった歴史を持っています。
日本の皇室が血の連続性によって継承されてきたのに対して、
外国の王政は権力の連続性によって存在してきたのです」(
『かくあれ祖国』光文社)。憲法と天皇制についても述べて
いる。「現行の憲法では日本という国家の元首が誰であるか、
必ずしも明確になっていないことに最大の原因があります。
……明治憲法下では天皇が元首です。しかし現行の日本国憲
法には元首の規定がありません」(『それでも「NO」といえ
る日本』光文社)。
石原には天皇の存在は、「世界唯一の司祭主である天皇制」
(前述・『かくあれ祖国』)であり、伊勢神宮を祭る宗教の、
その神主の親玉となるようだ。その意味では、倒幕後には明
治の元勲となる、志士の一部と同じ考えとなるのだろう。
明治天皇は1852年の生まれで、即位時は16歳。戊辰戦争を
勝利に導いた「元勲」たちとは、一世代近くの歳の開きがあ
る。それに西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允といった倒幕の
中心人物は、明治10年前後に病死、あるいは殺害されている。
それでも、残された元勲たちと天皇の関係は、玉と、その地
位にしてくれたその担ぎ手であるため、天皇との距離はかな
り近い。
明治は45年間とかなり長く、残された元勲たちはテロ、戦
乱、病で、ひとりまたひとりといなくなる。そして、その間
に天皇の神格化が少しずつ進んでゆく。創業の臣ではなく、
後から臣となるのでは、その臣の立場は弱くなるからだ。こ
のように、石原が思う明治憲法下の天皇は、明治期を通じて
一様ではなく、その初期と後期ではかなり違う。ましてや、
明治以前も、戦後の天皇も、これもまた違う。規格化した、
ひとつの型というものではないはずだ。
それに、今も「日本の皇室が血の連続性によって継承」
を主張する御仁には頭が下る。加えて、「日本の天皇制は
諸外国の王政とはまったく異なった歴史」とも主張する。
違いを強調するのは結構だが、それぞれの国により違って
いる。つまり、この種の形態は、同じものは二つとないと
いうことを、理解してほしい。このように、ことさら天皇、
天皇制を俎上に乗せてはいるが、水戸学を実践した勤皇の
志士はきっと叱るはずだ。
(11)猪瀬のミカド
猪瀬の著作の書名には、「天皇」が付くものが多い。
『天皇の影法師』『ミカドの肖像』『ミカドと世紀末』
『ミカドの国の記号論』『ジミーの誕生日-アメリカが
天皇明仁に刻んだ「死の暗号」』などがこれらとなる。
それに、天皇・天皇制を述べた書となると、かなり増え
てしまう。
猪瀬は信州大学を卒業して、その二年後に明治大学大
学院に進んで橋川文三に師事し、日本政治思想史を学ん
でいる。橋川文三が亡くなったのは1983年で、この年に
『天皇の影法師』が、朝日新聞社より出版されている。
この本がデビュー作のようで、自分のプロフィールとし
て書いている。「橋川先生との約束にこたえる作品が書
けそうな気がしてきたが、なお数年の準備期間が必要だ
った」。この『天皇の影法師』が、約束にこたえた作品
だというようだ。猪瀬は、師のことを次のようにも述べ
ている。「橋川先生はベタベタした関係は嫌いな気がし
て、僕はいつも距離を置いていた。ときどき、一線を越
えて生意気な発言をしてしまう」(『僕の青春放浪』『迷
路の達人』改題・文藝春秋1993年)。
猪瀬が石原の下で副知事となり、そして天皇のことを
書いている。都職員が部長・局長を務めて副知事となる
のとは違う。民間人から選ばれるのだから、さぞや知事
と、行政上(思想上も)の考えが一致しているのだという。
そのためか、猪瀬が自分で師と仰ぐ橋川文三との、思想
上のかかわりが気になってくる。丸山真男に学び、三島
由紀夫と論争した橋川文三は、右翼や農本主義者に光を
あてたとして、左右を問わず、かなりの評価を得ている
。代表作のひとつとなる『日本浪曼派批判序説』(未來
社1960年)は、よく読まれていた。橋川文三に加えて、
石原慎太郎が猪瀬の師となると、これはかなり怪しくな
る。二人はかなり異質となるからだ。
橋川文三の下で同時期に学んでいて、当時をよく知る
人物がいる。今は、中部地方の大学教員をしているから
聞いていた。大学院の修士課程の卒業時に、猪瀬は就職
するためか、推薦状(紹介状)を書いてほしいと依頼する。
誰もがすることなのだが、珍しいのは、依頼された師の
橋川の対応だ。その方によれば、橋川は推薦状を書かな
かったという。猪瀬が推薦を依頼したのは、この時だけ
なのか、そして、後には推薦してもらえたのか、今は確
かめようもない。その方は、印象深いことのようで、今
も記憶に残っているという。
猪瀬は、師と「距離を置いていた」と述べているが、
それは違うはずだ。置いていたではなく、「置かされて
いた」(師によって)のではないだろうか。もうひとつの
「橋川先生との約束」については、猪瀬のご自由にとな
る。
(12)猪瀬のミカド
石原もそうだが、猪瀬の「天皇観」もかなり怪しい。
というよりも、猪瀬は何も無いのかもしれない。猪瀬の
天皇について述べたものに、次のようなものがある。
「天皇家が置かれた特殊法人もどきの位置」と題した文
章の中で、「あの眼鏡をかけた猫背のぎこちなく手を振
る昭和天皇・・」(『続・日本国の研究』(文藝春秋社)。
この書の一連の文章(論文といいたいのだがなかなか)
には、天皇制の廃止についても書いている。「進歩的文
化人は……天皇制をなくすべきだと言った。じつはこれ
では何も説明していないに等しく、だだの思考停止の状
態」として、「僕はやや意地悪く、では対案を出してく
ださい、と注文をつける」。
行政マンとして、副知事の職に就くのは後のことだが、
行政にかかわらなくても、天皇制廃止の具体的手法は、
とくに難しい話ではない。猪瀬が誰に尋ねたのかは、調
査不足で知らないが、尋ねられて、なぜこんなことを聞
くのか、理解に苦しんだはずだ。それとも、尋ねた相手
が悪かったとなる。簡単なことだ。第一は、憲法をはじ
めとした、天皇に関する法律、政令、省令等を廃止・改
正し、必要があれば、それに代わる新法を制定すること
だ。それは、事務量は膨大となり、手続き的には簡単で
はないが、理論的には簡単だ。容易でないのは、「玉」
として活用を続けたい勢力の動向と、米国ということに
なる。この意味では簡単ではないが、猪瀬はこのことを
問うてはいない。
唐突に天皇制の廃止を俎上に載せるのだが、もうひと
つ、皇居についても触れている。「では皇居をどうする
か。公園にして第三セクターが文化ホールを運営するな
ど、いかにも安易な方法である」(同)。とある。安易
な方法であると、批判するのは結構だ。でも、誰が「安
易な方法」を主張しているか、猪瀬の文章からは知るこ
とは出来ないでいる。自分で主張して、自分で批判して
いるのだろうか。
もうひとつある。「天皇家が置かれている現実的な環
境は官僚機構の下請け特殊法人≠フ位置である」。と
いうものだ。道路公団民営化推進委員会が設置されたの
が2002年であり、この本が書かれた後のことになる。猪
瀬は、次には行政関連(特殊)法人に関心が向かう。
第五回
(13)宣伝がうまい
単行本の『ミカドの肖像』は、1986年12月に発行されたとある。
現在、手元にあるのは、「小学館ライブラリー版」だが、単行本
が発売された時に購入して読んだ記憶がある。その書名と宣伝文
句に引かれたのだが、今にして思えば、失礼だが、「期待はずれ」
「想像とは違う」となる。後から出版された他の書籍に、この書
の宣伝文句として、「皇室をめぐる〈禁忌〉と〈不可視のシステ
ム〉」とある。この種のレトリックはよく遣うが、皇室が「禁忌」
であるかないかは、特に定められているわけでも、だれかが定め
るわけでもない。そう思う人が、そう思っているに過ぎない。ま
た、そう思ってほしいと、一部の人が望んでいることでもある。
そのために、宣伝文句として登場する。だが、それこそ阿吽の理
解だ。
書名そのもの、そして宣伝文句を、額面どおり受け取る責任は、
著者、そして出版社にあるのではなく、ひとり読者にある。「ミ
カド」とあるので、天皇、そして天皇制について論じているのか
と、想像してしまった当方が悪い。内容と書名を一致させるのな
らば、『西武帝国の肖像』か、あるいは『堤康次郎帝国の肖像』
でもすればいい。その方が書名と内容が一致する。でもそれは、
こちらの勝手となる。昭和天皇が亡くなったのは、1989年1月7日
で、本が発行されたのは、その健康が取りざたされはじめたころ。
天皇・天皇制に、それなりの関心が集まりはじめていた。時代の
空気を察してか、本書には、天皇にかかわる道具を、それなりに
登場させている。八瀬童子、禁域としての皇居、廃皇族の行方、
皇室専用列車、虹作戦など、もりだくさんとなる。
もうひとつ取り上げたいのは、猪瀬は本書で、皇居を「空虚な
中心」と表現していることだ。ビルは林立していないし、工場も
ない。緑が多いこの地は、街中と比較すれば、空虚というしかな
い佇まいだ。でも、猪瀬がいうのは観念上の空虚のはずで、そう
であるならば、別の次元であり、理解はかなり困難だ。それは、
この本から受ける印象こそ、なぜか、「空虚な中心」となってし
まうからだ。空虚なものが、空虚を述べる(論じるではない)のは、
越権のはずだ。そのことが、理解を難しくしている。それは、猪
瀬の天皇制には骨がないということなのだろうか。突き詰めれば、
「玉」として、それが有効であることを承知して、用いているか
らだろう。それにしても玉の扱い方は空虚そのものだ。
(14)猪瀬の攘夷
石原の攘夷の対象は、1989年に出版された盛田昭夫との共著、
『「NO」と言える日本』で示されているように米国だとすると、
猪瀬の攘夷は、自分を批判する文化人と、各種の行政機関となる
のだろう。猪瀬の天敵としては、新党日本代表の田中康夫がいる。
「あそこで猪瀬が辞めてりゃ川本裕子も辞めたはず。で、大宅映
子だけが残る。そうすりゃ大宅はやっぱり御用文化人だという話
になる。それでこそ小泉の改革がウソだとばれるのにさ」(週刊
ダイヤモンド・2004年)。と、道路公団民営化委員にすがり続け
る猪瀬を批判する。
田中康夫は長野県出身(八歳から)で長野県知事経験者。同郷
の猪瀬は気になるようだ。「猪瀬は、政治家に変えられないなら
自分がやると、フィクサーとして仕切った気になってるんだろう
ね。でも実際は長野出身のヤマザルが、官僚や自民党道路族とい
うタヌキに取り込まれちゃってるんだよ」(同)。この田中の発
言は、「道路公団改革の限界」というタイトルで、浅田彰氏と対
談したもの。対談相手の浅田氏にも取り上げてもらっている。
「一貫して上昇志向だけなんじゃない?猪瀬はボブ・ウッドワ
ードの『ブッシュの戦争』をすごく褒めてるの。あんなの、ホワ
イトハウスから特に取材を許されたかわりにブッシュを礼賛して
みせた翼賛本に過ぎないのに」(同)。浅田氏の発言は、彼が著
わした書籍に向かう。「猪瀬は〈権力の中枢に肉薄して書いてる
からすごい〉と。で、あいつとしては自分の『道路の権力』はそ
れに匹敵する本だ(笑)と言いたいんじゃない?外から無責任に
批判するだけじゃなく中枢に肉薄したんだ、と。そりゃ肉薄した
んじゃなくて単に取り込まれただけだって(笑)」(同)。
佐高信氏も、前述した「皇居のまわり云々」の他、猪瀬のこと
を取り上げている。「猪瀬のは〈ハラハラ止まり〉で、私や田中
康夫のように、圧力よって連載打ち切りになったことはないだろ
う。その程度の〈安全〉なものかきなのだ」「猪瀬は学会を叩か
ない。いや叩けない。それでいて、日本はファシズムに逆戻りす
るなどとは言うな」(いずれも『タレント文化人150人切り』
)。ここまでいわれるとなると、その攘夷が開国に転化するのは、
対文化人に限れば、まず可能性はない。攘夷を強化し続けること
だろう。
(15)猪瀬の得意な頭の体操
道路公団民営化委員会が発足し、委員となるのが2002年。猪
瀬はその前年に、「道路四公団の分割民営化案」を携えて首相
官邸を訪ねたそうだが、自身でこのことを述べている。「小泉
首相はしばらく黙して視線を落とし、ページをめくってから顔
をあげた。……小泉首相は意思的な口調で、よし、わかった、
と二度繰り返した」(『道路の権力』文藝春秋社)。
道路公団民営化については、なにがなんだかわからないとい
うのが、正直な感想だ。このことは専門家と称する人にも違い
はない。「(道路公団の民営化は)何が問題で何を目標とする
のかという点があいまいなまま民営化の論議が進み、あいまい
なまま失敗だった」(『民営化という虚妄』東谷暁・祥伝社)。
という説明が的を射ている。
櫻井よしこ氏が指摘しいているように、小泉首相の「改革」
はスローガンであり、「民営化」も同じことになる。中身がな
いのだから、曖昧なまま進み、曖昧なまま終わることになる。
当時の小泉首相と猪瀬は、そういう意味では、ピタッとはまっ
たということになる。猪瀬が意識的に合わせたのだろうか。猪
瀬にとっては、自分の主張にこだわりはなく、その場その場の
対応が重要となるようだ。
だれでもそうだが、社会に向けた発言は、それなりに責任を
問われてしまう。そのため、「良い加減」なことをいっても、
「いい加減」なことはいわないものだ。田中康夫が言うところ
の御用文化人は、こと、このことに限っては異質となる。いい
加減な発言に、「東京DC特区構想」というものがある。
都議会では、次のように説明していた。「知事が副知事に登
用するとした猪瀬直樹氏から提起された東京DC特区構想です。
山手線内、山手通りで区切った都心部三百万人が住む地域を国
の直轄地にする、都民の税金は国全体のものとして税収を徴収
し、地方に振り分けるというものです」(本会議・岡崎幸夫議
員・2007年6月19日)。
岡崎議員は、「知事の、都心の住民から自治権を奪うことは許
されないとする基本姿勢と根本的に異なります」として、批判
する。「この東京DC構想は、府制をも飛び越えて国の直轄地
とするもので、自治権の拡充に逆行するものであるばかりか、
戦後、特別区が続けてきた自治権拡充の取り組みを否定するも
のでもあります」(同)。
都の存立を揺るがす構想があり、その実行を披瀝する人物が、
副知事になると知れば、穏やかではない。それに、石原知事の
考えとも違っているようだ。副知事就任に賛成したくても、こ
れでは困る。そこで質問となるのだが、事前の打ち合わせがあ
ったのだろうか。まだ副知事就任前なので、この質問に対する
答弁は石原知事となる。「彼が発言した東京DC特区の構想は
一つの案でありますが、実現は全く不可能でありまして、これ
についても私は議論いたしました。猪瀬氏も最近、ある場所で、
あれは頭の体操をしたまでといっております。ご懸念の点は心
配に及びません」。
第六回
第四回の訂正
誤(12)猪瀬のミカド
正(12)空虚な中身
(16)ボクにも言わせて築地市場
豊洲地域は、東京ガスが都市ガスの製造のために用いてきた場所。
ベンゼン、シアンなどの有害物質で、土壌や地下水が汚染されてい
る。都は、その潤沢な税金に物をいわせ、汚染物質を除去するから
安全だと主張している。この問題については彼の猪瀬副知事が、ボ
クを忘れは困ると登場してくる。
議会が、日経BPネットの猪瀬直樹の「目からウロコ」というコ
ラムを取り上げている。「インターネットで連載されている副知事
のコラムから引用すると、その内容は、例えば、築地市場はイオン
やイトーヨーカ堂に価格決定力を奪われつつあるとか、車社会に対
応できずシャッター通りになった駅前商店街と同じとか、あるいは、
取扱量は減少し、移転がおくれるほどじり貧化するが、移転をすれ
ば取扱高が再浮上する可能性もあるなどです」(本会議・山下太郎
・2007年12月11日)。同議員は状況をこのように説明し、「担当で
もない人が副知事の肩書で発言、発信し、不要な混乱を招くことは、
好ましいことではありません」。と指摘する。
副知事となったはいいが、思ったほどは発言の機会はない。その
発言も個人の見解とはならない。都の考え、行政としての考えを披
瀝することになる。ストレス(?)の発散の場は、ネット上となる
ようだ。築地の地元の中央区長や市場関係者からも、「東京都の責
任者としての視点が欠けている」「猪瀬は発言の根拠となるデータ
を示せ」と、俎上に乗せてもらっている。
市場関係者の抗議は、猪瀬の仲卸のコマについての記述となる。
「バブルのときには一コマ1億円にもなったそうだ。しかしいまは、
一コマ500から700万円くらいにまで相場が下がっている」(「目か
らウロコ」)。ここまでの数値を断定する場合は、世の人は、その
根拠、出典を明示する。あんたもそのくらいのことはしなさい。と
いう抗議だ。
やっと発言の機会が、と思ったら、別人が答弁する。「猪瀬副知
事は、就任早々、築地市場に足を運び、流通環境の変化に対応し切
れていない実情を目の当たりにして、客観的かつ正確なデータに基
づき、移転の必要性について述べたものであります」(同・石原知
事)。
猪瀬の副知事就任には、都議会与党の自民党も危惧していた。自
民党は同意するにあたり、二点の申し入れをしている。「@都や知
事の主張と相入れない発言を行ってきたので、猪瀬氏の発言が都の
意向に反することのないよう、知事に十分なる調整を願う。A国を
含め対外的な対応は、知事の代理を同氏が担当され、内政面につい
ては他の副知事にゆだねるべき」。というものだ。
翻訳すればこうなる。「知事がちゃんと説明し、よけいな事はい
わせないようにしなさい」「知らないのだから、都政・行政につい
ては関わるな。やることがないので困るのならば、猪瀬が好きな政
治家と国の役人への接待役をやればいい」。こうなるだろう。
副知事就任については、知事と折り合っていたのだが、懸念は現
実となっている。具体例を挙げて、うっぷんを晴らしている。副知
事就任が2006年6月なので、2年後のことになる。都議会本会議にお
いて、自民党の服部ゆくお議員が指摘する。以下は、指摘された猪
瀬副知事の発言をまとめたもの。(本会議・2008年6月17日)
【調布飛行場】
「地元との協定に縛られ、今どきジェットがだめとはおかしい。な
どと発言」
【参議院議員宿舎の移転建てかえ】
「反対されている住民の方と現地を視察し、その模様を映した番組
にみずから出演し、反対の論陣を張るなど、副知事として著しく公
平性を欠いた言動」
【茨城空港】
「むだな投資であるがごとくの発言を行う。他の自治体の首長、議
員を公然と批判するのは甚だ失礼だ。互いの自治を尊重することは
地方分権の基本だ」
服部議員の発言は続く。「こうした猪瀬氏の一連の行動は、作家、
評論家としての言動であるかもしれません。しかし、副知事の職に
ある以上は、責任ある立場をわきまえた発言と行動が求められてい
ることは当然のことであります」(同)。
与党、それも第一党の自民党からの手厳しい批判。でも、どこ吹
く風のようだ。「副知事は、選挙で選ばれた政治家ではありません。
議会の同意を得た上で選任された公務員であります。我々は、選任
に同意した都議会の第一党として、都民に無用な不安や誤解を与え、
都政への信頼を揺るがしかねない猪瀬氏の一連の行動は、もはや見
過ごすことができません」(同)。猪瀬もエライが、自民党もエラ
イ。
(17)オリンピック
東京都内がオリンピック一色となる。1964年ではなく、2009年10
月までの話。都と市区町村の建物に取りつけた垂れ幕、あちこちで
見かけた桃太郎旗。それにやたら種類が多い、公共施設におかれた
大量のパンフレット。フウセンもバッチもあった。考えられるあら
ゆる宣伝グッズがある。2016年のオリンピック誘致に使われたお金
は、かなり怪しく、もっと多いようだが、それでも148億5千万円。
この費用の中には、各市区町村へドンと渡したお金もある。東京
オリンピックンと冠した事業を実施しろ、そのために一自治体あた
り1000万円を補助する。なんてものだ。各自治体は、文句はない。
過去のオリンピック選手を呼んでの講演会など、スポーツイベント
の花盛りとなる。
この150億円は、オリンピック招致のためと、はっきりと明記さ
れたお金。これには、都生活文化局をはじめとする各部局が使った、
招致活動に関わる費用は含まれていない。オリンピックの機運を盛
り上げるために、各部局が使った額は、50億円ほどあると指摘され
ている。合わせて200億円となるのだろう。
招致運動にも地域の温度差があり、三多摩は二三区ほどは高くは
ない。都は各自治体議会にオリンピック招致の決議を求めていた。
その中で瑞穂町議会は、「オリンピック招致決議」を否決するが、
このことの反応はスコブルとなる。「頭がどうかしてるんじゃない
のかね。軍民共用化とオリンピックとどう関係あるのかね。やっぱ
り頭を冷やした方がいいと思うね。何も得にならないと思うね」
(知事定例記者会見録・2006年6月23日)。
自分の東京オリンピックを邪魔する奴、しかもそれが町の議会。
瑞穂町の上部機関(ではなく勘違い)である都に楯突く、子分の分
際で、と思うようだ。石原には、町当局と議会の区別はない。「オ
リンピックが仮に決まって、その前にだって三多摩(2013年開催予
定の東京国体)はあるわけでしょう。そのときになってほえ面かか
ないようにした方がいいよ、本当に」。
瑞穂町の「議会だより・165号」に、決議案の説明がある。@オ
リンピック東京開催を強く望む。A多摩地域での競技の開催を求め
る。(都の計画案では、都心部中心)B横田基地の民間機利用推進
につながることは認められない。というものだ。この決議が、議長
を除く17名の起立採決で、賛成者八名となり、賛成少数で否決とな
る。
招致決議を否決した瑞穂町の予算が心配される。否決の翌年の予
算では、都支出金は、16億1600万円とある。全体の13・7%。だが、
前年は13・0%なので、特に少なくはなっていない。その後は14%
台を推移している。石原による「ほえ面かくな」は、予算の減額と
はなってはいないようだ。それとも、町債などの他の項目で、ほえ
面をかいているのだろうか。
オリンピック招致に異議を唱えるのは、瑞穂町議会だけではない。
23区も三多摩も、そして全国も、賛成の声はあまりまかれない。招
致委員会の2009年1月のアンケートでは、「開催を希望する」が、
全国70・2%、東京68・6%となっていた。アンケートなるものの胡
散臭さは今更だが、努力して積み上げた数値もこの程度。他の団体
のアンケートは、もっとひどい。
こちらは、民放連による在京ラジオ局リスナーを対象とするアン
ケート。同年5月の調査で、『報道資料』として発表されている。そ
こには、「賛成と反対がほぼ拮抗する結果に」と、説明がある。「
賛成」46・8%、「反対」48・2%という結果とあり、この数値が流
布してしまっている。でも、この数値は、「ラジオリスナー」に限
ってという説明が必要だ。それにしても「拮抗」とは、いかがかと
思う。はっきりと、「反対が賛成を上回る」とでもするべきだ。
(18)ちょっと待ってその調査
アンケートの参加者は9513名なのだが、拮抗というのは、ラジオリ
スナー6096名を対象としたもの。全参加者では賛成が35・5%で、反
対が60・3%となってしまう。これでは拮抗とはならない。民放連に
すれば、アンケートの一般参加者に賛成が多ければ、その数値を大
きくとりあげたい。でも残念だが、そうとはならいので、リスナー
に限ったようだ。
IOCが独自に実施した開催地の市民の支持率が公表されている。
それによると、リオデジャネイロとマドリードが、それぞれ85%。
シカゴは67%、そして東京が56%となっていた。共同通信社の調査
(2009年5月)でも55%なので、このあたりの数値が、真っ当なもの
のようだ。
多額の税金を使っても招致は実現しない。どうもその最大の原因が、
都民の支持の少なさにあるようだ。招致の責任者の石原は、責任を追
及される立場にいる。「東京招致の責任者としての自省の言葉がない
といわれましたが、それはどういうことがあなたの満足する自省にな
るんでしょうかね。私が泣いて百回もごめんなさいということをして
も、自省の言葉にならないと思いますね」(同)。
この発言は、増子博樹議員の質問。「知事自身、敗れた東京招致の
責任者としての自省の言葉がありません。……知事が旗振りした招致
機運の低迷は、招致委員会の分析、日本人の国民性から、招致を実現
させようという能動的な行動に直ちに結びつかないことなどに課題が
あると都も認識しているのか」。に答えたもの(同)。
ごめんなさいと言ってもらっても困ってしまうが、それにしても百
回どころか、1回でもごめんなさいとは、言ってはいない。それに、
招致失敗の反省をする暇はない。2016年の招致は失敗したが、次の
2020年のオリンピック招致を表明している。招致の責任者を続けたい
ようだ。
オリンピック関連イベントは、不思議なことに、招致失敗となって
も続いている。「2016年東京開催失敗後に招致費で五輪行事という記
事が出ておりました。24日に東京都の武蔵村山市で、五輪関連イベン
トとして700万円を費やして行ったという事業のことです」(財政委
員会・福士敬子議員・2009年10月29日)
オリンピック招致失敗の結果は、利権に群がる人々の姿を見ること
になるが、電通の存在をあらためてクローズアップさせてもくれた。
招致活動の経費は148億5000万円で、民間企業等への発注額が114億
5000万円。その内、電通への発注額が66億9000万円となる。
電通とマスメディアとの関係は、相互依存ではなく、一方が一方
に依存しているので電波と紙媒体に、電通は、大きな影響力を持ち
続けている。そのため、オリンピック招致には、表立っての反対報
道は自己規制してしまう。電通に流れた招致に関わる宣伝・広告費
が、マスメディアに流れ込むため、招致に関わる一連の利権構造が
炙り出されてくる。2009年10月のIOC総会で、2016年夏季オリン
ピックの開催都市は、リオデジャネイロと決定する。
第七回
(20)性は自由でありたい
出版社団体のひとつ、出版流通対策協議会が、「東京都青
少年育成条例の改定に反対する声明」を発している。「
〈非実在青少年〉に関わる性表現を不健全図書指定に追加
してはならない」「単純所持の新設は、過去に入手した出
版物を破棄しなければならない義務が生じ、梵書そのもの
となり、到底容認できない」。というものだ。
流対協の会長が廃案を呼びかけている文の一説がある。「
学校現場での性教育不在が今日のエイズの蔓延を引き起こ
していることを考えれば、ポルノの解禁と性教育の強 化こ
そが議論されなければならないのではないか。こんなこと
では、青少年はマスターベーションも妄想も規制されかね
ない。フランスのポルノ解禁の議論のなかで、ポルノは若
者よりもアクセス機会の少ない老人にこそ必要という意見
があったことが、妙に印象に残っている」。この言葉を、
あの名前ばかりはいかめしい、東京都小学校PTA協議会
の役員と、青少年問題協議会の事務局員に教えたい。
条例改正については、猪瀬副知事の出番はない。という
より、本会議をはじめ、出席はしているが、答弁(発言)
の機会はまずない。漫画やアニメの作者も猪瀬も同じ文化
人。どういう考えをもっているのかと思っていたら、この
問題でメディアに出演していた。当然なのだが、副知事と
しての発言を知ると、あなたそれはないよといいたくなる。
こんな場には副知事面をしてと。「石原知事みずからが、
私たちの総会に出席し同意を求めた副知事が一体何をやっ
ているのかも見えません」。(本会議・大沢昇議員・2000
年3月2日)。
指摘されているのは、猪瀬副知事だ。 「特に民間から
招致いたしました猪瀬副知事には、周産期医療や高齢者の
住まいの問題など、役所にはない発想でいろいろアドバイ
スをいただき、補佐してやってもらっています」。と知事
が答弁している。かなり気になるようだ。アドバイスはな
いだろう。お客さんではないのだから、とこちらもいいた
くなる。その猪瀬副知事は、2010年4月1日に念願かなって
か筆頭副知事となった。
その筆頭副知事氏なのだが、議会ではなく、好きなテレ
ビでは言いたい放題となるようだ。同年3月29日放送のB
Sフジの番組「プライムニュース」で、副知事として、条
例改正推進側として登場した。「東京都条例改正の是非を
徹底討論」という番組。冒頭に、「担当者ではないので」
というが、特定の漫画作品を取り上げて、黄色い付箋を貼
らなければ移せないと、ばらばらページをめくる。「見る
のもイヤダ」「擬音が入っている」とも説明する。猪瀬の
結論めいたものは、「表現の自由の問題ではない。(マン
ガ本)の売り場の問題だ」。となるようだ。
都の副知事は、条例では定数は四人となる。猪瀬で三人
なので、知事はもうひとり増やしたいようだ。猪瀬はその
任ではないので増やさなければ、というのだろうか。「任
期途中の副知事をこれほどかえられた知事も珍しく、かつ、
残る任期一年足らずで強いチームをつくることは可能なの
でしょうかしかも、本来、知事を内側から支えるべき特別
秘書が、各種事業や庁内組織運営に何ら責任を負う立場に
ないにもかかわらず、副知事然として振る舞っており、そ
のことが、だれが副知事になっても強いチームにならない
最大原因との指摘が、数多く私たちの耳に入ってくるよう
な状況です」(大沢昇議員・同)。いやはや。
(終わり)
2011年の原発事故以前に書いたものです。
これ以降の「猪瀬」については、後日に。
また「布施哲也」のホームページ
http://www1.ttcn.ne.jp/~tettyan/
にも『猪瀬直樹・副知事だった人の光と影』
を掲載をしております。
-----------------
以上、転載
太田光征
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