2012年08月17日

たね蒔きジャーナル2012/8/15 終戦の日に思う「赤ん坊の記憶」、大城道子さんのお話

▽軍人・軍属には恩給があるのに、民間にはない。

▽米軍のジープが来る、日本兵は米兵に怯えて逃げた。

▽日本兵に呼び止められ、風呂敷鼓を没収され、スパイだから銃殺すると、風呂敷鼓の食料が欲しい日本兵、海に向かって歩けという。

▽(泣くと、米兵に見つかるので)赤ん坊の命を絶つ、鬼にさせられるのが戦争なのです

以下、転載

太田光征

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 永岡です、毎日放送ラジオのたね蒔きジャーナル、今日も水野晶子さんの司会、今日は水曜日ですが近藤さんがお休みで、毎日新聞ほっと兵庫編集長の平野幸夫さんの案内で放送されました。また水曜ですが小出先生のお話もお休みです。

平野さん、民主党閣僚の靖国参拝、私的と言うのは詭弁で、天皇制の元の位を示すものを記帳しており、政府の幹部がこういうことをするのは異常で、太平洋戦争の反省をしないといけない日にこんなことをするとは、民主党政権の右傾化と言われました。松原氏、松下政経塾出身で、この塾でどういう歴史教育をしていたのかと平野さん言われ、それがアジアにどう跳ね返るのかと水野さん言われました。

 維新の会は安倍元総理に接触していますが、安倍氏は霞ヶ関の勢力の代弁者で、橋下氏はそれに抗するものであり、共通点は歴史認識と憲法改正のみ、これは石原氏も合流できるが、一緒にやっていけるのかと平野さん言われ、橋下氏の支持者と安倍氏の支持者は重ならないと平野さん言われるのです。安倍氏、自民党総裁復活の思い?があり、すぐに返事はないのです。

 原発のニュース、復旧に当たっている作業員が入居などで差別的な扱いを受けており、東電の社員1495人の回答で、アパートの入居、病院の診察を断られた人が13%あり、精神的な問題を受ける確率も2倍なのです。

 今日は敗戦の日で、1943〜45年に沖縄に生まれた人が、自身の記憶をまとめた「赤ん坊たちの記憶」を出版されました。赤ちゃんとして敗戦を迎えた人のお話、今生きていることが奇跡という皆さん、本をまとめられた大城道子さんのお話がありました。戦争末期に生まれ、どんな風に赤ん坊として生き延びたか、親から聞いた記憶をまとめたものです。大城さん、お電話での出演です。

沖縄戦のお話で、今日は沖縄戦の民間の被災者、遺族が那覇地裁に戦争被害を謝罪し損害賠償せよとの訴訟が提起されたのです。軍人・軍属には恩給があるのに、民間にはないのです。沖縄戦、住民と一体になり犠牲者が出たことへの訴えで、民間提訴は67年で初めてなのです。やっと提訴できるのです。提訴しないといけない、社会へのメッセージなのです。

 大城さん、小さいときに沖縄で育ち、同級生と本を作ったのですが、那覇の中学の12期生、1960年卒業、2005年に同期会結成、その時に、みんなが必ずしも沖縄で生まれていない、疎開先で生まれた人もいる、台湾で生まれた人、南陽群島、満州で生まれた人もいて、この世代の特徴で、生まれた場所がバラバラで、アジアの各地で生まれている=大日本帝国の範囲で生まれたのです。それぞれに戦火を潜り生きてきて、最初は過去を振り返るものの、そこには厳しい体験もあり、自分たちが生かされてきたことが一人ひとりの発言に伝わり、よほどの奇跡が重なり生き延びたのです。一人一人に奇跡のようなものもあり、周囲の、小さな命を守る愛があり、生き延びたのです。

 平野さん、この感覚、戦争の記憶はないものの、親御さんの悲惨な記憶を聞いて認識し、庇護してくれる人の温かい気持ちを認識して作られた本であり、沖縄だけでなく、満州を逃げ延びた極限の記述、ソ連兵に家族を殺されて、何とか生き延びた人もいて、鮮烈なのが浮かんでくると言われるのです。この記憶を大城さんがまとめられたのです。

 巻頭詩を水野さんが朗読されました(以下概略)。戦争と私、1945年4月のヤンバル、海に向かって歩きなさいと、二人の日本兵が母に命令し、母は夕暮れに歩き、鉄砲に弾を込める音、これで死ぬと母は思い、やっと楽になれるとの安堵感があり、白波の立つ海に歩く。自分の顔は輝いており、一向に撃って来ない。母は、私を抱きしめた後振り返り、日本兵が逃げていく。米軍のジープが来る、日本兵は米兵に怯えて逃げた。

 母は全身の力が抜けて、泣き崩れた。気がつくと、闇に刻まれた静寂の中、時が刻まれ、今、私がいる。1944年那覇で生まれた。生まれてすぐに那覇は空襲で壊滅状態にあった。母はヤンバルの森に夜中に移動、死体をまたぎ、うめき声を抜けて、北へ逃げた。防空壕を経て、泣き声で居場所が分かるので、日本兵に銃で追い出された。ヤンバルの親戚の地も安住の地ではなく、戦火に巻き込まれ、そこからも逃げた。親戚とも離れてしまい、鰹節を食べて飢えをしのぐ。日本兵に呼び止められ、風呂敷鼓を没収され、スパイだから銃殺すると、風呂敷鼓の食料が欲しい日本兵、海に向かって歩けという。

 65年も前のこと、私と母を助けたのは、皮肉にも敵の米軍だった。

 そして今、私はここにいる。母は、82歳で天寿を全うした。

 この巻頭の詩を水野さん朗読されて、水野さん震えて、沖縄の戦い、知っているつもりだが、知っているのと感じるのは違うと水野さん言われて、戦争の記憶は語られたものの、命を永らえる一人一人の事は文章になってはいなかったのです。平野さん、沖縄戦、住民を楯にした戦争の有様が表現されたすごいものと言われました。防空壕に逃げても赤ん坊が泣くと居場所が分かり追い出される、これは本の中に出てくるもので、沖縄では普通に語られるものであるのです。

 リスナーより、防空壕で赤ん坊が泣くと、口を塞ぎ殺される、それを日本兵にやられる実態について、沖縄戦は敗戦で、日本兵も防空壕に一緒に隠れており、小さな島で、同じ方向に隠れる、その際に住民の子供が泣くと、米兵に見つかると脅迫されるのです。同郷の人が、普段は親しい人の中にも、壕から出て行けということもあったのです。赤ん坊の命を絶つ、鬼にさせられるのが戦争なのです。日本兵は住民を守ると思われているのでタチが悪いのです。

 またリスナーより、生かされたというが、その一人として、人生に悩む人にメッセージをという声があり、企画した大城さんの意図、戦争の一場面をクローズアップされるが、赤ん坊は死んでいく世代もあるが、生まれてくる命もあり、死んでしまう地上戦の中で生き延びたことが貴重、愛の力で、べたべたした愛ではなく、命を大切にする、具体的に食べ物をどうしたというものであり、それがあったから、67歳まで生きてきたと言われました。大城さん、反戦の本ではなく、愛の本として読んでほしいと言われました。

 大城さん、今の政治家に対して何か思いがあるか、世界の動きを見ると竹島等表現しにくいが、日本政府には、赤ん坊たちの記憶をまとめて、「戦争はもういや」が沖縄の気持ちであり、武力に至らない外交交渉をしてほしい。武力を容認する動きもあるが、それは大城さんにはあり得ないと言うのです。現実はトラブルの中であり、言葉で通じる闘いをする力をつけて欲しい。仲良くしましょうとは言えない、価値観が違うからで、武器は言葉であると大城さん言われました。

 私も大城さんのお話、詩を書き起こしていて、深い思いにとらわれました。平野さん、一つ一つが大河小説のような壮大なものを感じる、愛の文章で、今の政治に関心をもち続けて欲しいとあるのが印象的だと言われました。これをお伝えいたしまた。

 なお、ホームレスの人が売っている雑誌「ビッグイシュー」、8月1日号(196号)は基地問題をなくす〜米軍被害と闘う市民たちという特集で、6月29日の官邸前20万人デモの記事もあります。

http://www.bigissue.jp/backnumber/bn196.html

 最新号8月15日号(197号)は福島原発労働者について、石丸小四郎さんのお話があります。

http://www.bigissue.jp/latest/index.html

 興味のある人は読んでみてください(販売所はHPにあります)。
posted by 風の人 at 02:07 | Comment(0) | TrackBack(0) | 一般
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