2011年08月13日

震災から5ヶ月経っても区切りが付かない…被災者の声(2011/8/12)

永岡さんのメールを転載します。

太田光征
http://otasa.net/

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 永岡です、毎日放送ラジオ「たね蒔きジャーナル」、今日も水野晶子さんの司会と、毎日新聞専門編集委員の近藤勝重さんの案内で放送されました。今日は小出先生のお話はお休みで、震災5ヶ月で、水野さんが被災者の話を伝えました。

 原発事故関係のニュース、安全庁について、環境省に作ることを閣議決定しました。保安院を廃止し、事故の際の初動対応他も担当し、幹部は、出身官庁には戻さないルールを作ります。今月中に準備室を作り、4月に発足させます。

  そして、京都で送り火に陸前高田の薪を使おうとして、放射能汚染で中止になったこと、今までできたことが出来なくなった、この薪のこと、被災地のお盆のお話で、水野さんが6月に被災地に行き、南三陸町、津波で壊滅した町で出会った女性で、川柳を作り始めた方、ご夫婦二人暮らしで、仕事を失い、店も、自宅もなくなり、母親は入院中(津波にやられた病院)に津波で死亡し、ご主人の父親は行方不明、南三陸は行方不明の人の数が亡くなった人より多い、捜索しても遺体が確認できないのです。

 この方、避難所で川柳で「大津波 みんな流して バカヤロウ」と読み、その時の望みは早く仮設住宅に入りたい、生活再建できないと言っていて、その後連絡がなく、仮設を申し込んでも抽選で落ちる、南三陸は高台に平坦な場所がなく、仮設を造りにくいのです。今も1万人が1次避難所でお盆を迎えているのです。

 この方、この前連絡できて、明日仮設に引越しになりました。しかし、南三陸は無理で、山の中、不便で抽選のない仮設(南三陸から車で1時間、仕事がないのでガソリン代なし)しかなかったのです。ガソリン代をどうしようかと言っておられます。

 南三陸は8月末で避難所閉鎖なのですが、仮設で新たな苦難が始まっているのです。それが、震災5ヶ月なのです。水野さん、初盆に仮設が間に合ったと言ったら、この方、母親の葬式がまだであり、遺体を確認できただけ幸せであり、確認できない人が多い、しかし、その後葬儀場がいっぱい、お坊さんもいっぱい、葬式が出来るのは9月であり、お盆までに仮設と言うのと、ここまで違いがあるのです。弔った人を迎えるのがお盆なのに、それも出来ないのです。

 水野さん、6月に遺体安置所があり、葬儀を待つ人がいて、それも、テレビ他では伝えられていないのです。ご主人のお父さんはまだ見つかっていないのです。DNA鑑定を申し込んでいるものの、まだ見つかっていないのです。

 お盆の慰霊の映像がテレビで出るものの、こういう現実は報道されないのです。前に進めない人はどうしたらいいのか、なのです。関西では薪を燃やすべきか論議しているものの、霊を弔うご家族の気持ちは晴れないのです。答えは返ってきません、区切りも付けられないと、近藤さんも対応されました。

 水野さんは、この方の声を、また伝えたいと言われました。

 私も阪神・淡路大震災を経験し、仮設の問題も(私は入らずに済んだものの)経験しました。あの、16年前の神戸の地獄が、何倍にもなり、再現されていると思いました。以上、お伝えいたしました。


posted by 風の人 at 01:58 | Comment(0) | TrackBack(0) | 一般
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