2011年05月01日

吉井議員(共産):地震で受電設備が破壊、対策取っていれば、津波による内部電源喪失でも冷却系は作動していたはず

sinsai-chibanetのMLで教えてもらいました。

太田光征
http://otasa.net/

YouTube - 原発事故 首相「政府答弁は誤り」
http://www.youtube.com/watch?v=zE_kqF8--Ic


4月26日の衆院予算委員会で吉井議員(共産)が行なった質問で、福島原発震災が政府・東電による人災であることがさらに明瞭になったと思います。

※ 地震で外部電源喪失、津波で内部電源喪失の可能性があることを指摘してきたが、政府・東電は対策を取ってこなかった。
※ 炉心溶融を防ぐために迅速なベント・海水注入の命令を怠った。


2004年スマトラ沖地震津波の後、地震で外部電源喪失、押し波で内部電源喪失、引き波で取水できず核燃料棒の崩壊熱で電源喪失、を指摘してきた。

2010年答弁、多重防護、メルトダウンを起こさないようにしている(直嶋経済産業相)。

内部電源が喪失しても、外部電源が機能すれば、機器冷却系は作動していたはず。

第一原発5、6号機の受電鉄塔が倒壊し、外部電源を喪失。1〜4号機の受電設備、地震で破壊。

受電鉄塔の倒壊は過去にあった。すると外部電源取れない。海水を被ることによる内部電源喪失だけでない。

安全委:送電・受電鉄塔の耐震補強を求める指針はない。

予見できたのに対策を取らなかった。スマトラ沖地震津波の経験が生かされなかった。

3月11日午後10時、機器冷却系の電源喪失。
総理からベントの指示を受け、海江田大臣が午前1時30分に指示、午前3時6分に記者会見、ウエットベントを実施したかどうか不明、6時50分、海江田大臣が命令発出。

原子炉規正法64条3項に基づいて、なぜ迅速にベント・海水注入を命じなかったか。

ベント、地震発生から16時間後、海水注入、29時間後、その間に水素爆発起こっている。

3月12日、1号機の水素爆発後の4時間後に海水注入の命令。

45日後を経ても、SPEEDI、ERSSに必要なデータを政府は東電に出させていない。したがって東電の工程表も評価できない。

南相馬市、原発被害で4区分、1メートルでも違うと補償に格差、避難するかしないかは被災者任せ。副社長、30キロ圏にかかわらず補償は常識と発言。

電源喪失でデータ消失(海江田大臣)。

オフサイトセンターに全情報あるはずだが、原発から5キロにあり、20キロ圏内は避難ということで、福島県庁に(人材を)出している(吉井議員)。

【5月22日追記】
福島第1原発:海水注入と中断は東電の判断 官邸は知らず - 毎日jp(毎日新聞)
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20110522k0000m040075000c.html
海水注入は12日午後7時4分、発電所長らの判断で始まり、同25分に停止。その後、菅直人首相の指示を受け、停止から55分後の午後8時20分、正式に始まった。

 官邸では午後6時ごろから海水注入の検討を開始。燃料の再臨界を防ぐホウ酸を投入するなど防止策を協議し、同7時55分、首相が海水注入を指示した。その間に東電が海水注入を始めたことは官邸には伝わっていなかったという。ホウ酸投入は同8時45分に始まった。

 細野豪志首相補佐官は会見で「当時は現地と連絡を取るのにも時間がかかった。午後7時半ごろまでは政府内では『注水は困難』という前提で議論しており、7時4分に海水注入が行われていたことも後日知った」と強調した。

 午後6時に首相が海水注入を指示したとされる政府資料についても「正確な記述ではない」と否定。「午後6時の時点では『(海江田万里)経済産業相が東電に海水注入の準備を進めるよう指示した』というのが事実だ」と釈明した。

 1号機では11日の地震後、原子炉冷却のための電源が失われ、淡水を原子炉に注入し始めた12日早朝には核燃料の大半が溶融していたとされる。同日午後3時36分には水素爆発が発生。原子炉を海水で冷やすという決断がどのような経緯でなされ、事態の悪化にどう影響したかは、今後の検証の焦点になるとみられる。【平野光芳、酒造唯、比嘉洋】
posted by 風の人 at 22:19 | Comment(0) | TrackBack(0) | 一般
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