2010年04月28日

民主党という政党の正味の評価について革新・刷新派市民・論者の共通項はつくれないものか

民主党という現在日本の政治の中枢にある政権党の評価について、政治革新、あるいは政治刷新を指向しているという点では同じ方向を向いているはずのいわゆる革新・刷新派市民、また論者の間に少なからぬ差異が認められます。そして、私の見るところ、その革新・刷新派の市民・論者の少なからぬ政権党評価の差異が、いまの私たちの国の政治の混迷からの出口をいっそう見えがたくしているという側面もあるように見えます。また、そればかりではなく、その革新・刷新派市民・論者間の少なくない認識上の差異が革新・刷新派市民が本来指向しているはずの現実政治のありうべき展開にも影を落として小さくない負の影響を与えているようにも見えます。そうだとすれば、この革新・刷新派市民・論者間の認識上の差異をその差異のままでこのまま放置しておくことは同差異者間の共通する政治指向の実現のためにも不幸な事態だといわなければなりません。以下は、このような「不幸な事態」を解消するための私なりの試案です。

さて、私たちの国のいまの政治の混迷の一因を形づくっている、と私として思えるその差異は、ひとことでいえば昨年8月の総選挙で政権交代してから8か月を経たいまの民主党・鳩山政権を評価するか、しないか、の一点に尽きるといってよいでしょう。いまの民主党・鳩山政権を(でも)評価するという側は、民主党が昨年8月総選挙時に公約したマニフェストからの同党政権の少なくない政策後退は一応は認めます。が、そういうことよりも、同評価側は、戦後半世紀にわたって日本を支配してきた自民党政権が崩壊し、民主党中心の政権交代が実現したことの意味をなによりも最重要視します。その民主党・鳩山政権を評価する側の理論構成は、この歴史的な政権交代の橋頭堡を一歩たりとも後退させてはならない。自民党政権時代にバックラッシュさせるようなことがあっては断じてならない。そのためには自民党政権回帰を志向する保守・反動勢力や守旧的マスメディアなどなどの攻撃にさらされて八方ふさがりの状態にある民主党・鳩山政権をわれわれ市民の手でなんとしても守り抜く必要がある、というもののようです。

上記の主張を代表する上質の論客のおひとりと思える弁護士の梓澤和幸さん(NPJ代表)はたとえば次のように言います。「覚悟と実践なくして鳩山キャップを批判するだけでは、足りない。(略)長期にわたる国労争議に解決の兆しがある。各省庁の記者会見も公開の動きがある。沖縄密約訴訟は勝利したが、これをもたらした要因に吉野文六証言があり、さらにその背景に外務大臣の証言許可(民事訴訟法191条)があった。新政権の岡田外務大臣が外交官であった吉野氏の証言を許可しなければ密約の証明は実現しなかったのである。民主党連立政権はジグザグを描く戦後の系譜の中でみるときやはり民衆にとっての果実なのである。その果実をまもりながら同時に沖縄の人々の不退転の要求を実現する。――この一見、二律背反、実は一つのものを仕上げる芸術を達成しなければならない」(「普天間返還を実現できる主体を」 2010年4月25日)。
http://azusawa.jp/break/essay/20100425.html

しかし、梓澤さんには次のように反問しなければなりません。たしかに民主党・鳩山政権は「民衆にとっての果実」を自民党政権時代とは比較にならないほど実現しはしました。しかし、次のような「果実」の積み残し、あるいは置き去りはどのように評価すべきなのか、と。朝鮮人学校排除問題、外国人参政権付与法案問題、夫婦別姓等民法改正問題、抜け穴だらけの労働者派遣法「改正」問題、官僚・法制局長官の答弁禁止問題、大企業優遇税制非是正問題、中小企業減税見送り問題、米軍思いやり予算非是正問題、普天間問題公約違反問題(現在進行形)・・・・。

一方、民主党政権はもはや評価できないとする側は、戦後半世紀にわたって日本を支配してきた自民党政権が崩壊し、政権交代が実現したことの歴史的意義を評価する、という点においては民主党評価派とほぼ認識を同じくするものの、政権交代後8か月に及ぶ民主党政権の後退に後退を重ねる政治姿勢、政局運営、公約違反の数々はもはや評価するに値しない、と考えている人たちが少なくないように思われます。民主党という政党は結局のところリベラル左派から極右までいる党としての統一理念が存在しえない寄木細工のような集合体でしかなく、すなわち、つまるところ民主党は自民党とほぼ同質の体質を持った政党であって、そういう自民党と基本的に同質の政党に自民党政権時代の負の政治的財産を清算することなどはおそらく覚束ないだろう、とする見方です。

そうした見方の一面、民主党政権はもはや評価できないとする側も、同党が昨年の8月総選挙に際にマニフェストという形で打ち出した基本政策と理念は、労働や福祉、教育、環境政策などの分野において自民党政権時代にはなかった市民本位の政策的優位性を示しえているものも多く、そういう意味で評価すべき点も多いことを見逃しているわけではありません。そうした課題においては民主党・鳩山政権にさらに働きかけを強め、その課題の実現を迫るとともに、そのための市民間の共同もさらにいっそう押し進めるべきだろう、とも考えているように思われます。しかし、上記に見た民主党政権の持つ限界性を見極めることも重要だ。これまでの自民党政治的なものの延長でない理念と政策を確立し、新しい政治システムを構築するにはどうしたらよいのか。その方策を模索するべきときにきているというべきではないのか。私自身がそうなのですが、そういう認識の方向性を保持しているように思えます。

上記に見た政権党評価についての民主党・鳩山政権を評価する側と民主党政権はもはや評価できないとする側の認識ギャップの溝は埋めることができるのでしょうか。認識上の差異は、それぞれの思想的なアイデンティティーやそこからくる各自の根底的ともいえる社会認識を背景に含み持っていますから、その認識ギャップを埋めるのは容易ではありません。そこで有用なのは、それぞれの自意識にも関わってくる認識上の問題を問うのではなく、共通する政策課題の客観的な達成度を基準にして、それぞれの認識ギャップを標準化するという作業ではないでしょうか。

そこで、私は仮に、その基準(評価の軸)の指標を、熱心な民主党支持者として知られているエコノミストの植草一秀さんのいう3つの「政治刷新具体策」に求めてみるというのはどうだろうかと思います。すなわち、@官僚天下りの根絶、A企業献金の全面禁止、B対米隷属外交からの脱却(植草一秀の『知られざる真実』 2010年4月11日付)―― という3つの政治刷新具体策です。植草さんの
挙げるこの3つの指標を達成度の基準にするのであれば、おそらく革新・刷新派である限りどなたも異議はもたれないでしょうし、私たちが民主党を評価する際の共通項になりえるような気がします。

さて、上記と重複するところもありますが、以下に3人の方々の民主党評価を挙げてみます。そして、その各自論者の民主党評価が上記の3つの指標に照らして公正な評価といえるのかどうかを見てみます。

(1)おひとり目。天木直人さん(元駐レバノン大使)。天木さんは民主党という政党を評価して次のように言います。

「私は意図して鳩山政権を批判しているのではない。それどころか他の政党よりはましだと思って鳩山政権を応援したい気持ちだ。/それでも毎日のニュースを見ているとどうしても批判的になる」(「天木直人のブログ」 2010年4月13日)。

(2)おふたり目。池田香代子さん(世界平和アピール七人委員会委員)。池田さんは、世界平和アピール七人委員会が4月8日に鳩山首相を訪ねて「核兵器不拡散条約再検討会議を前にして 核兵器禁止条約の採択に向けた早期交渉開始を求める」という同委員会としての第102番目のアピールを直接渡した際にご自身の『世界がもし100人の村だったら』という著書を進呈して、その著書の扉に「鳩山由紀夫さま 支持します あなたの初心 命どぅ宝」と揮毫したといいます(「池田香代子ブログ」 2010年4月10日)。これが池田さんの現段階の民主党評価だといってよいでしょう。

(3)お三人目。ヤメ蚊さんこと弁護士の日隅一雄さん。日隅さんの民主党評価はたとえば次のようなものです。

「民主党支持率の件で、いったん、ぼやき原稿を書いて公開したが、貯まっていた先週の新聞記事を斜め読みして、ぼやいたのは間違いだったと思いなおした。民主党支持率は底をつきますよ、これは」(「ヤメ記者弁護士(ヤメ蚊)ブログ」 2010年4月12日)

いずれの論者の民主党評価も多少なりとも民主党寄りの、あるいは民主党に期待する評価だと見てよいでしょう。しかし、私は、こうした民主党評価が上記の植草一秀さんの挙げる3つの指標に照らして公正で、かつ客観的なものといえるのかどうか疑問に思います。@の官僚天下りの根絶とAの企業献金の全面禁止という指標については、植草さん自身が下記のように言って「成果はまだ目には見えてきていない」と落第点をつけているものです。

「これまでの半年を見る限り、ほんとうに期待した成果はまだ目には見えてきていない。(略)一番重要なのは天下りを根絶するということなんですけれども、これもかなり従来野党のときの主張から比べると後退している。(略)それから政治と金の問題の根幹にあるのは企業が政治にお金を出すということなんです。(略)ですからこの膿を出し切るにやはり企業団体献金を全面的に禁止する新しい法体系を作る必要がある。(略)これをやらなければ政権交代の意味はないと思います。それを実際にこの鳩山政権が実行に移さなければ私も鳩山政権を支持するのをやめます」(THE EARTH討論会(天木直人VS植草一秀)第1部 21:30秒頃(Style FM 2010
年3月27日)。
http://www.768.jp/ondemand/list/vod.php?vod_id=163

ただし、上記の植草さんのいう落第点については「これまでの半年を見る限り」という留保条件はつけられてはいます。しかしこれも、上記の天木さんのように「半年たって何も出来なければ何年たっても出来ないということだ」(「天木直人のブログ」 2010年3月21日)と見る方が正鵠を射た見方というべきであろう、と私は思います。

また、Bの対米隷属外交からの脱却の指標については、普天間「移設」問題ひとつをとってみても「対米隷属外交からの脱却」をしえた、とはとても評価できるものではありません。天木さんの発言を再び持ち出すことになりますが、「鳩山政権の対米外交は、ここにきて急激に対米迎合政策に傾斜しつつある」(同上)とマイナス評価されているものです。

上記に見たとおり、少なくとも現段階において@からBの指標の達成度という点で鳩山政権を評価する余地はほとんどありません。それがどうして(1)から(3)のような評価になるのでしょう? ここに私は民主党・鳩山政権を評価する側のもはや客観的評価とはいいがたい民主党・鳩山政権への彼ら、彼女たちの過剰な思い入れしか見出すことはできません。そこにあるのは民主党・鳩山政権をわれわれ市民の手でなんとしても守り抜く、という一念と情念のみです。もはや論理を超えているというほか評価しようがありません。上記で述べた戦後半世紀にわたって日本を支配してきた自民党政権が崩壊し、民主党中心の政権交代が実現したことの意味をなによりも最重要視するところからその陥穽は生まれるのでしょう。

これも繰り返しになりますが、民主党中心の政権交代が実現したことの歴史的意義を評価する点においては民主党政権はもはや評価できないとする側も鳩山政権評価側とほぼ同様の見解を保持しています。したがって、革新・刷新派の市民・論者の差異を縮小、あるいは解消する課題のゆきつくところの問題は、民主党中心の政権交代が実現したことの歴史的意義と政権交代後8か月に及ぶ民主党政権の負の政局運営と公約違反の数々をどのように評価するかというバランス評価の問題ということになるでしょう。この点についてピープルズ・プラン研究所運営委員の武藤一羊さんが非常にバランス感覚のすぐれた論攷を発表しています(「鳩山政権とは何か、どこに立っているのか ――自民党レジームの
崩壊と民主党の浮遊」 2010年2月16日)。

武藤さんはまず「昨年八月選挙での自民党政権の敗北とは、保守二大政党間の政権交代というものではなくて、戦後政治支配レジームの解体と捉える必要がある」。「八月総選挙における自民党の敗北によって戦後国家体制は解体と変容のプロセスに入ったと見るべきだろう。それは民衆運動が介入する新しい空間の生成・拡大のプロセスでもあるのだ」と言います。そのため民主党は「自民党レジームの旧来の利益誘導型統合様式を壊そうとする意欲を明らかにするとともに、小泉政権のネオリベラル改革への批判の立場から派遣労働や貧困の問題にとりくむことを公約し、財界の抵抗をある程度押し切ってでも、労働と福祉の改善へ向かう具体策を約束しないわけにはいかなかった」と見ます。

しかし、「自民党は戦後国家に作りつけの統治装置として存在していたことから、それを倒して成立した民主党政権は、一方において、この装置全体への選挙民の不信と拒否の受け皿として信任されたと同時に、逆説的に、自民党を取り外した姿でのこの装置の相続人として、その形式をそのまま引き継いだという点に注目すべきであろう」。「鳩山政権のふるまいで特徴的なのは、この政権が自民党がこれまで積み上げてきた政治的悪行についてきわめて寛大であることである。新政権は、自民党レジームからどれほど膨大な負の政治的財産を引き継いだのかを明らかにし、それの清算という困難な仕事に挑戦する決意を示し、その仕事を支持するよう広く人びとに訴えるのが当然と思われるのに、政官癒着や天下りなど特定の分野を除いては、それをしようとしないのである。世論を政権に引きつける上でも得策であろうと思われるのに、肝心の問題でそれをしないのである」。「それをしないのは、自民党政権時代につくられた日米関係を変更するつもりがないからである」と民主党の限界を指摘します。

そして、武藤さんは最後に民主党政権の性格を「過渡的政権」と規定して次のように言います。「民主党が、かつて自民党が誇っていた『国民政党』的な性格を獲得し、自身を制度化することは無理な話なのである。それが無理になったからこそ自民党政治が終わり、戦後国家の政治空間が抜けがらとなったのである」。「しかし他方、自民党の空白を埋める存在として権力に就いた民主党は、自民党と違う傾向をあいまいに示すことはできても、異質な政治潮流を抱える構成のために、原則について明確な立場をとることはきわめて困難なのである。権力形式と必要な内実のこの不釣り合いはどこかで解決を迫られるだろう。民主党はしたがって過渡的政党であり、民主党政権は過渡的政権であろう」。

上記の私の武藤論攷の要約は必ずしも武藤さんの意に添ったものになっていないかもしれません。武藤さんの論攷の全文はぜひ下記URLをご参照いただきたいと思います。
http://www.peoples-plan.org/jp/ppmagazine/pp49/pp49_muto.pdf

この武藤論攷は、民主党評価に関してその是と非を明らかにして非常にバランス感覚のすぐれた論攷になりえているように思えます。また私は、この武藤論攷は、私たち革新・刷新派市民・論者間の中に少なくなくある民主党評価の認識の差異の縮小、あるいはめざすべき共通する政治革新と政治刷新のためにも有用な認識の提示と指摘になりえているのではないか、とも思っています。私たちの国のいまの政治の混迷の一端が少なくとも私たち革新・刷新派市民の民主党評価の認識の差異に見出されることがないことを私としては他の人の論攷の援けを借りながら祈るような思いでこの小文を書きました。

参考:(上)民主党という政党の正味の評価について革新・刷新派市民・論者の共通項はつくれないものか
http://blogs.yahoo.co.jp/higashimototakashi/2757343.html
参考:(下)民主党という政党の正味の評価について革新・刷新派市民・論者の共通項はつくれないものか
http://blogs.yahoo.co.jp/higashimototakashi/2757391.html


by 東本高志
posted by 風の人 at 10:11 | Comment(0) | TrackBack(0) | 一般
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