■Fwd: 浅草聖ヨハネ教会日曜給食活動継続のためのお願い(AML 24864 2009年3月4日)
http://list.jca.apc.org/public/aml/2009-March/024304.html
■【その後】浅草聖ヨハネ教会日曜給食活動継続のためのお願い(AML 25194 2009年3月18日)
http://list.jca.apc.org/public/aml/2009-March/024625.html
その際、私は、上記AML25194の末尾に「先日の15日夜の『聖公会・渋谷給食活動グループ』(注)の方々と近隣の方々との話し合いの結果が気になります。近隣の方々の理解が得られたと思いたいのですが・・・」と記しておきました。
注:「聖公会・渋谷給食活動グループ」とあるのは「浅草聖ヨハネ教会日曜給食活動」の誤りでした。「聖公会・渋谷給食活動グループ」は上記AML24864の「お願い」を書かれた方々です。同渋谷給食活動グループのみなさんは、浅草聖ヨハネ教会日曜給食活動とは別に月に2回、地下鉄渋谷駅付近で始発直前におにぎり又はカレーを無料配給する給食活動をされておられるとのことです。
この話し合いの結果を含む浅草聖ヨハネ教会の「日曜給食活動」の厳しい現況について、 西村仁美さん(ルポライター)が「『ここではないどこかへ』―野宿生活者への給食が中止の危機」(週刊金曜日、2009.5.22 751号)というルポーを書いています。
下記にその記事を抜粋引用させていただきたいと思いますが、同記事によれば、「日曜給食活動」の現況は、「四月には、『給食活動中止』に関する教会と住民による三回目の話し合いが行われた。司会を務めた日本聖公会東京教区の李民洙(リーミンス)牧師(四七歳)によると、李牧師自身が双方に調停案を出したという。教会と住民とが一緒に行政に話を持っていき、行政に問題解決のため話し合いのテーブルについてもらうという提案である。教会も住民もその提案を了承するが、住民側からはその条件として約一ヵ月間の教会での給食活動休止の要求がなされた」「両者の溝はまだ深い」というもののようです。
さて、西村記者は、同記事中で地域住民の次のような声を紹介しています。
・「(列に並ぶ人たちに対して)不安があります。たった一回だけ来た人を(何らの危害も加えない
人ばかりだと)『信じろ』と言っても無理です。これだけ多くの人たちがいっぺんに来たら私たち
の町の治安を守ろうとしても守りきれない」(六一歳女性)
・「朝早くから(給食を求めて)いろんな人がウロウロしている。不気味です。なるべく、家を早く
出ないように、買い物は午後から出るようにしている」(年齢不詳、女性)
・「『施す』ということより『集まる』ということが問題。密入国者、犯罪者が入ってきているかもし
れないし」(年齢不詳、男性)
・「教会の前にずらっと人が並ぶ。家を出入りするのがちょっときつい。日曜がくるのが苦痛」
(年齢不詳、女性)
上記のうち4番目の女性の方の声は私にも理解できるような気がします。自分の家の前に毎週、毎週大勢が陣取るように列をなしていれば、私だって息苦しさを感じてしまうでしょう。
しかし、「私たちの町の治安を守りきれない」「ウロウロしている。不気味」「密入国者、犯罪者が入ってきているかもしれない」などの地域住民の声は偏見に満ちていて、聴容に堪えず、憤ろしさのようなものさえ感じます。10年以上にわたって続けられてきた無料給食活動を通じて、特に問題とすべき事案があるわけでもないのに、野宿生活者や生活困窮者はまるで犯罪者扱いです。
聖公会・渋谷給食活動グループが起草した「要望書」(2009年3月15日付。上記AML24864参照)には次のように記されていました。「野宿生活者は、『いると不安』、『危険』なもの、時には『何かするかもしれない』犯罪者のように見なされ、排除されることさえあります。しかし、それらの認識は事実とは大きく異なるものです。野宿生活者たちは不安、危険なものなのではなく、生活どころか命の保障もない上に、時には偏見によって存在すら認められないという、社会の中で最も弱い立場に置かれている人々です」。この要望書に基づいて教会と住民側の話し合いはもたれたはずですが、地域住民にはその倫理的、汎人間的といってよい切なる訴えは残念ながら届いていないようです。
こう書きながら、私はいま、ヤメ蚊ブログの昨日付の「『殺人』の嘆願をした32万人の方へ〜あなたは自殺する3万人のことを考えたことはありますか?」(2009年6月6日)という記事を思い浮かべています。その記事でヤメ蚊さんは同日付の読売新聞の「闇サイト殺人『極刑を』32万人署名」という記事について「いやぁ、ひどいねぇ」と嘆いた上で「死刑」と言う刑罰の抑止力の問題にふれて次のように言います。
http://blog.goo.ne.jp/tokyodo-2005/e/92442371fd12778ca90b401de7600aa7
「抑止力が必要? なら、年間3万人の自殺者のことを考えたことがあるのだろうか?毎年死んでいく約3万人には死刑は抑止力にはならない。この3万人は、自らを殺すという決断を下し、行動を起こしている。それが他人に向けられないのは、死刑があるからではない。犯罪を抑止するのは、刑罰だけではない。それは倫理であったり、教育であったり、家族の愛であったりする」
「『殺人』嘆願をした32万人は、年間3万人の自殺者に手を差し伸べようとしたことがあるのだろうか? そのような自殺者が生まれないような社会をつくるためには何が必要かを考えたことがあるのだろうか? より多くの人が幸福になるような社会にしよう、せめて、すべての子供が高等教育まできちんと受けられるような仕組みのある社会にしよう、そういうことを考え、行動を起こしたことはありますか? なぜ、年間3万人を殺す政府、年間1万人を殺す自動車メーカーの責任を同じように問わないのですか?」
私は、浅草聖ヨハネ教会の野宿生活者への給食活動の「一時中止」を求める地域住民のエゴ(と、私はあえて言いたい)に、甚だ失礼ながら、上記でヤメ蚊さんが指摘する「『殺人』の嘆願をした32万人」の心情、倫理の喪失と同質のものを感じます。
ところで、浅草聖ヨハネ教会の給食活動の「一時中止」を求める地域住民の212筆の署名とはいったいどういうものでしょう。上記記事によれば、教会を含む地域の住民が入るM町会の人口総数は台東区調べで4月1日現在1041人。同地域住民の約5分の1が給食活動の「一時中止」を求める要望書に署名をしたということになります。逆に言えば5分の4の地域住民は同署名にかかわっていないということにもなります。また、同記事によれば、「話し合いに参加した住民の中には教会での給食活動を支持する人もいる」ということです。一般に地域の署名活動は、その地域の有力者や顔なじみから頼まれるというケースが多く、近所づきあいなどから頼まれた側は断りにくく、義理で署名するいう側面を少なからず持っています。
そういうことも勘案すると「地域住民の署名」の評価は難しく、一定の署名が集まったからといって即それが「地域住民の総体の意志」だとは判断しがたいものがあります。「教会を含む地域の住民が入るM町会」には当然町内会、自治会のようなものがあるでしょう。「212筆の署名」はたしかに町内のひとつの意志に違いないでしょうが、教会及び教会に参加する人びとの中にも少なからず同町内の居住者はいるでしょう。その人びとの「日曜給食を続けたい」という意志も町内のもうひとつの意志です。町内会、あるいは自治会は、この両方の意志を公平に調整する役割を負うのではないでしょうか? 同記事にあるように「行政に問題解決のため話し合いのテーブルについてもらう」という点で教会側と住民側が一致したのであれば、行政を交えて地域の町内会、自治会でこの問題について話し合ってみる、というのも問題解決のひとつの方法といえるのではないでしょうか? そうすれば、行政や町内会も含めて、いまある地域の課題を再認識するということにもつながるような気が私としてはします。
参考:
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■「ここではないどこかへ」 野宿生活者への給食が中止の危機(西村仁美 ルポライター)
(週刊金曜日、2009.5.22、751号)【抜粋】
一〇年以上、教会が行ってきた野宿生活者への無料給食活動に地域住民から「待った」がかかった。教会の牧師やボランティアらは頭を抱える。両者の間に何があったのか? 給食活動は続けられるのか?
(略)
そんな教会に二〇〇二年頃から住民の苦情が寄せられ始めた。「給食のお弁当の殻が近くに捨ててあるから拾ってほしい」「給食に来ていた人が駐車場で立ちションをしていたから洗ってください」「(地域内で)たむろしている。なんとかしてほしい」などの声だ。下条牧師は「できる限り苦情に即対応するようにしてきました」と言う。給食後はボランティアで地域の清掃も行うようにした。
しかし、景気の悪化を反映してであろう。給食を求める人は増え続け、当初五、六十食ほどだった日曜給食は、現在、五〇〇食前後を必要とする。給食活動は教会の敷地内で行われているが、敷地は四〇〇人弱で一杯になるため、給食に並ぶ人たちが、教会の外まで列をつくるようになる。そんな中、昨年一二月、給食活動の「一時中止」を求める二一二筆の署名が教会に出された。教会の外に列をつくらずにすむ代替案ができるまで活動を中止してほしいというのだ。提出したのは教会を含む地域の住民が入るM町会有志(同町会の人口総数は、台東区調べで四月一日現在一〇四一人)。地域住民の声を拾った。
「(列に並ぶ人たちに対して)不安があります。たった一回だけ来た人を(何らの危害も加えない人ばかりだと)『信じろ』と言っても無理です。これだけ多くの人たちがいっぺんに来たら私たちの町の治安を守ろうとしても守りきれない」(六一歳女性)「朝早くから(給食を求めて)いろんな人がウロウロしている。不気味です。なるべく、家を早く出ないように、買い物は午後から出るようにしている」(年齢不詳、女性)「『施す』ということより『集まる』ということが問題。密入国者、犯罪者が入ってきているかもしれないし」(年齢不詳、男性)「教会の前にずらっと人が並ぶ。家を出入りするのがちょっときつい。日曜がくるのが苦痛」(年齢不詳、女性)など――そして、多くの人が口を揃えて言う内容が、「給食活動そのものは否定しない。"ここではないどこか≠ナやってほしい」というもの。実は、「一時中止」どころの話ではないのだ。実際、住民の署名提出後に持たれた、教会と住民側との話し合いの中でも、途中から教会での完全な「給食停止」が求められるようになっている。
(略)
四月には、「給食活動中止」に関する教会と住民による三回目の話し合いが行われた。司会を務めた日本聖公会東京教区の李民洙(リーミンス)牧師(四七歳)によると、李牧師自身が双方に調停案を出したという。教会と住民とが一緒に行政に話を持っていき、行政に問題解決のため話し合いのテーブルについてもらうという提案である。教会も住民もその提案を了承するが、住民側からはその条件として約一ヵ月間の教会での給食活動休止の要求がなされたという。下条牧師は言う。「話し合いはいままでの継続(平行線状態)ですけれど、議長さん(李牧師)が最後に行政のほうにみんなの目を向けてくださったのはよかったのではないかと思います」。
一方、住民側の窓口役は「一定の休止期間を設けるというのは、対立点があるときの話し合いの基本だと思います。とにかく一回(教会には)やっていた作業をとめて、ということ。とりあえずは教会からの返事を待ちます」と言う。両者の溝はまだ深い。
住民の求める「ここではないどこかへ」ではなく、教会での給食活動を続ける方向で、なおかつ地域にも受け入れられる道はないものだろうか。教会が地域で活動を続けていくには、住民の理解も必要だ。そのための努力を期待したい。住民は、給食を求めてやって来る人たちの置かれた状況や心を知ることで、その不安を軽減することはできないか。話し合いに参加した住民の中には教会での給食活動を支持する人もいる。
(以下略)
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by 東本高志
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