2008年12月24日

ちょうふく障碍者が平和に暮らすこと−ひとりよがりでない支援とは

皆様

重複失礼します。
障碍者のケアホームの研修で書いた文章です。
全文はブログをご覧下さい。
http://heiwa0.seesaa.net/article/111664648.html

ご意見いただければ幸いです。

豊田 義信 yoshinobu000-lj(a)infoseek.jp

平和つむぎブログ http://heiwa0.seesaa.net/
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新採用研修
[重度重複障碍者にとっての自己決定-自己実現とは]
2008.12.17 豊田義信

 身体的にも、心理的にも重度の障碍を併せ持つ人にとって、
自分で自分のことを決めたり、自分のやりたいことを実現した
りすることとは、どういうことだろうか。

●権利擁護のために●
そもそも、なぜ、人として当たり前の権利である自己決定と
自己実現を考える必要があるのか。それは、重度重複障碍者の
権利擁護につながるからだ。
 人の権利、「人権」とは、人が人たることに基づいて当然に、
生まれながらにもっていて、誰にも譲ることや侵すことのでき
ない権利のことだ。
権利とは本来生まれ持ったもので、それぞれの存在が尊いということだ。

 まず権利の定義として、憲法の前文にかかれていることを確認したい。
「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、
平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」
全ての人々が、平和で気持ちよく暮らしていける権利をもっている
ということが記されている。この平和的生存権が全ての権利の基盤を支えるものだ。

(中略)

●ひとりよがりでない自己決定、自己実現のお手伝いのために●
 このように、重度重複障碍者にとっての自己決定、自己実現には周囲の
人間の支援が必要ではあるのだが、「もし、本人のエンパワーメント支援
ではなく、ディスエンパワーメントになっているのであれば、私たちのし
ていることって、一体何なのだ?」  
(NPO法人出発(たびだち)なかまの会「地域生活への招待」2008年、2ページ。)

自己決定のために、良かれと思って支援していることを、
常に点検していく必要があると考える。
 その点検のために、大阪のグループホーム・ケアホームを運営している
NPO法人出発(たびだち)なかまの会のセミナー報告集を参考に、
考えていきたい。以下、必要となる視点を抜き書きしていく(7〜8ページ)。

「私たちは、まず「何をいっているのかわからない」と知的障害のある
人たちを見るのではなく、本人たちは「何かを私たちに伝えたい」と
思っている、本人に意思があると考えました。…本人たちは自分の意思を
出してもよいということがわかったのか、どんどん意思を表明するように
なってきました。…

…本人にわかりやすいように情報を伝えることを工夫したり、
本人と同じ目線で話したり、本人の思い・気持ちに寄り添って粘り強く
働きかけたりすることにより、「本人たちの生活の幅」は確実に
広がっていきました。
そうすると、本人たちは、私たちの声にも耳を傾けてくれるように
なってきました。

…そうした実践のなかで、「支援」とは、知的障害のある人と支援者との
「相互関係」の中で、「本人主体を支援すること」と私たちは考えるよう
になりました。…」

(中略)

●「私の思い」が実現する「個人将来計画」のすすめ●

(中略)

●むすびにかえて、本人大会決議文と「自立支援法」、憲法前文にたちかえって●
 最後に、オランダ「育成会世界大会」における「本人大会決議文」と、
知的障碍をもつ「本人大会委員長」からの訴えを引用したい 。
(長よし千恵子「知的障害のある人が生きやすい社会とは」全社協『月間福祉2008年7月号』、34-5ページ。)

この決議文に照らすと、応「益」負担を強いる、現行の
「障害者自立支援法」と、福祉政策全般の縮小を強いている、
毎年の社会保障費削減という政治は、私たち主権者がこころから
信託したものとなっていようか。

私たち主権者が「全力をあげて、この崇高な理想と目的を
達成することを誓」った憲法前文は、こうした矛盾に答えを示してくれる。

憲法前文
「…そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、
…その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、
この憲法はかかる原理に基くものである。われらは、
これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。」

本人大会委員長
「私は親と施設の職員によって20年間人権侵害を受けてきた」
「母は、私が何かしようとしても、知的障害だから無理、
できないとさせてくれなかった。
 6歳で入所させられた施設でも、保護のもとに職員が何でもやってくれた。
 だから、自分は何もできない人間だと思っていた。
 だが、自分を1人の人として認めてくれた支援者との出会いにより、
 知的障害があってもできるものがあり、認められることを知った。
 今は、施設を出て支援を受けながら就職し結婚もして暮らしている。
 そして、知的障害のある人の本人活動や権利擁護を進めるために
世界を回って訴えている。」

本人大会決議文
「私たちのことを決めるときは私たちを抜きにして決めないでください」
「私たちもひとりの人間です。障害のあるなしに関わらず差別や
いじめをしないでください」

重度重複障碍者の自己決定、自己実現のためには、日々の支援を
点検するだけでなく、国の政治や制度を日々考え、修正し、
「正当に選挙された国会議員を通じて行動し」、私達主権者のものとして
働いていく必要がある。

以上

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posted by 風の人 at 20:58 | Comment(0) | TrackBack(1) | 一般
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Excerpt: どもども、持病の鬱で一年以上も滞っていた久しぶりの更新です(^^ゞ知人から以下の
Weblog: プレカリアートのなく頃に
Tracked: 2008-12-24 23:30