2008年10月31日

彦坂諦さん「文学をとおして戦争と人間を考える連続講座」のお知らせ

作家で私たちの友人の彦坂諦さんが講師の約2年がかりの12回シリーズ「文学をとおして戦争と人間を考える ――彦坂諦とともに『戦争文学』を読む、連続講座」が下記の要領(2008年11月23日〜2010年9月19日)で開かれます。

【講座案内】(彦坂諦さん):

みなさん、彦坂です。

 ひごろはほとんど発言せずにただみなさんの御意見を拝聴するだけなのですが、このMLの趣旨に無関係とも思えませんので、これからわたしがよろうとしている連続講座について説明させてください。

 この講座のタイトルは「文学をとおして戦争と人間を考える」です。講座を企画し運営するのは、この企画のためにだけ組織された企画運営委員会(仮称)で、じっさいには、「反天皇制運動連絡会(略称「反天連」)」と「ピープルズ・プラン研究所(略称「PP研)」のひとたちが中心になっていますが、このいずれもが主催団体ではありません。

 場所は「ピープルズ・プラン研究所」(東京都文京区関口1−44−3信生堂ビル2F、地下鉄有楽町線「江戸川橋駅」徒歩3分、東西線「早稲田駅」「神楽坂駅」徒歩15分)です。時間帯は、14時から17時まで(予定)。

 「案内役」(作品紹介、問題提起など)をつとめるのはわたし(彦坂)です。このわたしの話のあとに討論の時間が毎回確保される予定です。わたしとしては、この企画を具体化してくれたひとびとの尽力に感謝しつつ、講座の「案内人」を引きうけることにしたのでした。

 それだけではありません。そこにはわたし自身の内的欲求がありました。わたしは、いま、75歳、残された時間にはかぎりがあります。その限定された時間のなかで、むろん、わたしは、まず、わたし自身がなすべきこと、わたしでなければできないこと、つまり、わたしより先にこの世を去った「絶対の恋人」にして「生の道づれ」であったひとから遺された課題をなしとげなければなりません。ただ、この仕事をなしとげるためにも、たとえば、これからわたしがやろうとしているような仕事(この講座の案内人としての仕事)もまたなすべきではなかろうかと、最近、思いさだめたのです。

 わたしよりわかい世代のひとびとに向って語りかけたいこと、逆に、わたしよりわかい世代のひとびとから聴きたいことが、わたしにはいくらでもあるのだということに、ちかごろようやく気づかされるようになってきたのです。ですから、わたしの話を聴いてくれるひとがいさえすれば、わたしに向って語ってくれるひとがいさえすれば、わたしは、なんとかしてそういう機会をつくりたいと思うようになっていました。ちょうどそんなときに、この企画がもちあがったのでした。

 この講座のプランを添付します(pdffファイルになっています)ので、どんなテーマでどのような文学作品を読もうとしているのかは、そちらで見てください。ヨーロッパの文学作品は、ここでは、とりあげていません。日本語による作品に限定しています。

 国際関係や国内の政治情勢について、原発の危険や自然破壊について、食の安全について、劣化ウラン弾のおそろしさについて、核兵器の廃絶や軍縮について、いろいろな問題について直接具体的に説明したり論じたりしている文献を読むこと、あるいはそういった話を聴くことは、とても大切だし役にもたちます。

 けれども、わたし自身は、文学の徒なのですから、つまり文学作品を読んだり書いたりするのが仕事なのですから、どのように政治的な問題に対しても、文学的な方法によって接近していこうとしています。文学的方法とは、なにか?
 
 ひとくちにいうと、なんらかの図式(定式)から演繹的にものごとを説明しようとするのではなく、ある特定の状況のもとにおかれている顔も名前もある一人の人間がその状況をどのように生きようとしているか、生きえているか、生きられないでいるか、などなどといった具体的なことに関心を集中させ、そこから逆に状況全体を照しだそうとする、そういった方法のことです。

 そしてまた、もう70年近い歳月を隔ててしまって完全に「歴史上の」ことがらにすぎなくなってしまっているあの大戦争のなかで、わたしたちに先立つ世代のひとびとが、いったい、なにをどう感じたり考えたりしながら生きていたのかを、もし想像したいと思うなら、文学作品はなによりもいい手がかりをあたえてくれるでしょう。なぜなら、文学作品とは一にも二にも人間にかかわるものであるからです。

 この講座は外に向って完全に開かれています。望みさえすればだれでも出席できるのです。わたしも、できるだけ多くのかたがたに来ていただきたいと思っています。ぜひ、いらしてください。毎回が「読み切り」みたいになっていますから、関心のあるテーマで時間的に都合のついたときだけ出席することもできます。

彦坂 諦

【文学をとおして戦争と人間を考える 彦坂諦とともに『戦争文学』を読む、連続講座】詳細案内:
                   
主催:文学をとおして戦争と人間を考える会
連絡先:ピープルズ・プラン研究所

●文学をとおして戦争と人間を考える 彦坂諦とともに『戦争文学』を読む、連続講座
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【目 的】
 戦争という状況と一人の人間とのかかわりようについて考えることを主眼とします。
 戦争という状況にどのようにまきこまれていったか、戦争という大状況のなかでの個々の人間の状況とはどんなものであったのか、その状況を個々の人間はどう生きたのか、あるいは生きえなかったのか、などなどについて考えます。

【スタイル】
 戦争の悲惨さを描いている作品というよりは、その悲惨さのなかで、ひとりの人間がその悲惨とどのように向きあい、どのように生きたかを描いている作品をとりあげます。

【選書の基準】
 毎回、1冊の作品をともに読み、彦坂諦の報告(解説と批評)を前提に、参加者が自由に討論をします。テーマ(回)によっては、もう一人くらい報告者をプラスすることも考えたいと思っています(2回に1回くらい?)。
 ぜひとりあげたいと思うものでも、あまりに大部なものは除外しました。たとえば、大西巨人の『神聖喜劇』や五味川純平の一連の作品など。
 太字で記したのが、その回でとりあげたい書名です。ただ、入手が困難な場合には変更します。
 「参考図書」としてあげてあるのは、できれば読んでみてほしいけれど強制はしないものです。とりあげた作品を解読するなかで言及する可能性が高いものでもあります。

【参加費】
毎回それぞれ1000円です。

日程は原則的に奇数月の第3日曜日ですが、あくまでも予定であり、変更になる場合があります。あらかじめお問い合わせください。

【第1回】’08年11月23日(日) ひとはどのようにして兵となるのか?
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 徴兵、入営、初年兵教育、配属、自殺、脱走、徴兵忌避などについて。

 富士正晴『帝国軍隊に於ける学習・序』
 (未来社、1964年・六興出版、1981年「帝国軍隊」が「帝国陸軍」となっている) 
 
参考図書・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 水上勉『兵卒の鬣』(角川文庫、もしくは『水上勉全集 第15巻』(中央公論社)所収)
 大西巨人『神聖喜劇』(ちくま文庫、1991年)
 野間宏『真空地帯』(岩波文庫、1956年)
 安岡章太郎『遁走』(角川文庫、1976年)
 小島信夫『小銃』(集英社文庫、1977年)
 大岡昇平『出征』(『ある補充兵の戦い』所収、徳間文庫、1984年)

【第2回】’09年1月18日(日) 戦闘を記録するということ
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 「戦記」の読みかた、記憶とその伝承などについて考える。

 古山高麗雄『断作戦』(『断作戦?戦争文学三部作〈1〉』文春文庫、2003年)

参考図書・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 古山高麗雄『フーコン戦記』(文春文庫、2003年)
 大岡昇平『レイテ戦記』(中公文庫、1974年)

【第3回】’09年3月15日(日) 戦場とはどういうところなのか ─ 1
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 戦場における兵の日常とはどういうものであったのか?

 伊藤桂一『悲しき戦記』(光人社、2002年)

参考図書・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 伊藤桂一『続 悲しき戦記』(講談社文庫)
       『蛍の河』(講談社文芸文庫、2000年)
       『ひとりぼっちの監視哨』(講談社文庫)
 菊村到『死者の土地─かたりべの太平洋戦記』(光人社、1979年)
 結城昌治『軍旗はためく下に』(中央文庫BIBLIO、2006年)
 火野葦平『麦と兵隊』(新潮文庫、1953年)
 石川達三『生きている兵隊』(中公文庫、1999年)

【第4回】’09年5月17日(日)
戦場とはどういうところなのか ─ 2
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 戦争と性。兵にとって「女」とはどういう存在であったのか?

 田村泰次郎『蝗』(新潮社、1965年)

参考図書・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 田村泰次郎『春婦伝』(銀座出版社、1947年)
 富士正晴『童貞』(『帝国陸軍に於ける学習・序』所収、六興出版、1981年)
 伊藤桂一『分屯地への旅』(『ひとりぼっちの監視哨』所収、講談社文庫)
 伊藤桂一『黄土の狼』(集英社文庫、1977年)
 武田泰淳『審判』(『武田泰淳全集2 小説2』所収、筑摩書房、1978年)

【第5回】’09年7月19日(日) 流浪する兵たち
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 「遊兵」とはなにか? 兵であることを逃れられなければ、生きのびることはできない
 のではないか?

 大岡昇平『野火』(新潮文庫、1954年)

参考図書・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 今日出海『山中放浪』(中公文庫、1978年)
 江崎誠?『ルソンの谷間』(光人社NF 文庫、1993年)
 梅崎春生『桜島・日の果て』(改訂版、新潮文庫、2008年)
 大岡昇平『俘虜記』(新潮文庫、1967年)
 吉村昭『背中の勲章』(新潮文庫、1982年)
 吉村昭『逃亡』(文春文庫、1978年)

【第6回】’09年9月20日(日) 戦争のなかの青年
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 青年たちは、戦争という状況にどう向きあい、どのように生きたのか?

 福永武彦『草の花』(新潮文庫、1956年)

参考図書・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 福永武彦『風土』(新潮文庫、1972年)
 武田泰淳『風媒花』(新潮文庫、1954年)
 武田泰淳『蝮のすえ』(講談社文芸文庫、1992年)
 武田泰淳『貴族の階段』(岩波現代文庫、2000年)
 夏堀正元『青年の階段』(中公文庫、1979年)
 井上光晴『ガダルカナル戦詩集』(新編、朝日文庫、1991年)
 吉行淳之介『焔のなか』(中公文庫、1974年)
 大江健三郎『飼育』(新潮文庫、1959年)

【第7回】’09年11月15日(日) 戦争のなかの子ども
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 子どもにとって戦争とはなんであったのか?
 
 三木卓『ほろびた国の旅』(盛光社、1973年・すばる書房、1977年)

参考図書・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 三木卓『われらアジアの子』(集英社文庫、1978年)
 三木卓『砲撃のあとで』(集英社文庫、1977年)
 高井有一『少年たちの戦場』(講談社文芸文庫、1996年)

【第8回】’10年1月17日(日) 中国体験
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 中国とのかかわり。戦争はなにをどうねじまげたのか?

 堀田善衛『時間』(新潮文庫、1957年)

参考図書・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 堀田善衛『広場の孤独』(集英社文庫、1998年)
 堀田善衛『歴史』(新潮社、1953年)
 堀田善衛『記念碑』(集英社文庫、1978年)
 堀田善衛『奇妙な青春』(集英社文庫、1979年)
 安部公房『終わりし道の標に』(講談社文芸文庫、1995年)
 安部公房『けものたちは故郷をめざす』(新潮文庫、1970年)
 清岡卓行『アカシアの大連』(講談社文芸文庫、1988年)

【第9回】’10年3月21日(日) 敗戦前夜
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 敗色が濃くなった時期をどのように生きたのか?

 木山捷平『大陸の細道』(講談社文芸文庫、1990年)

参考図書・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 木山捷平『長春五馬路』(講談社文芸文庫、2006年)
 井上光晴『死者の時』(集英社、1977年)
 吉村昭『遠い日の戦争』(新潮文庫、1984年)

【第10回】’10年5月16日(日) 植民地の現実
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 とりわけ朝鮮の人びとがどう生きたのかを考える。

 金達寿『玄界灘』(青木文庫、1968年)

参考図書・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 李丞玉・李恢成監修『朝鮮文学選(1)解放前篇』(三友社出版、1990年)

【第11回】’10年7月18日(日) 復員・そして戦後
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 兵たちが帰ってきた日常とはどういうものであったのか? 兵でなかった人びとは?

 井伏鱒二『遥拝隊長』(岩波文庫、1969年)

参考図書・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 大岡昇平『わが復員わが戦後』(徳間文庫、1985年)
 結城昌治『虫たちの墓』(講談社文庫、2000年)
 小田実『明後日の手記』(角川文庫、1979年)
 小田実『ガ島』(講談社、1979年)
 阿部昭『大いなる日』(講談社、1970年)
 半村良『軍靴の響き』(角川文庫、2000年)

【第12回】’10年9月19日(日) シベリア体験
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 この独自な体験の意味を考えたい。

 石原吉郎『望郷と海』(ちくま文庫、1990年)

参考図書・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 内村剛介『生き急ぐ─スターリン獄の日本人』(講談社文芸文庫、2000 年)
 高杉一郎『極光のかげに─シベリア俘虜記』(岩波文庫、1991 年)



                    参加費は毎回1000 円です。
              すでに多くの作品を読んでいる人はもちろん、
               これから読んでみようという人も大歓迎!
                      1回だけの参加もOK!
                   ぜひ、ふるって参加してください!

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   彦坂諦(ひこさか・たい)
   1933 年生まれ。作家。社会に出て最初の2年
   間を除き、生涯、非正規雇用の身分で働いて
   きた。『シリーズ〈ある無能兵士の軌跡〉』(第1
   部『ひとはどのようにして兵となるのか』第2部
   『兵はどのようにして殺されるのか』第3部『ひと
   はどのようにして生きのびるのか』など全9巻、
   柘植書房新社)によって、わたしたちの日常に
   潜む戦争の根を、わたしたち自身が内在化し
   ている能力信仰、集団同調・異分子排撃など
   の問題として追求した。他には『餓死の研究』
   (立風書房)、『男性神話』(径書房)、『女と男
   のびやかに歩きだすために』『無能だって?
   それがどうした?!』(梨の木舎)、『九条の根
   っこ』(れんが書房新社)など。
…………………………………………………………

投稿者:東本高志
posted by 風の人 at 11:55 | Comment(0) | TrackBack(0) | 一般
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