2008年08月10日

増田都子先生の近現代史 第14回 「東京裁判と日本国憲法」報告 9条と安保、米軍基地の根っこに天皇の存在

皆様

2008年7月27日(日)14時〜16時半、湖北台近隣センター、「東京裁判と日本国憲法」の報告です。

天皇の戦争責任やその隠蔽、その為の隠れ蓑としての沖縄や9条、
メディア・教育界での自粛等、学校の授業では余り聞けない史実も報告しますので、
驚かれた方は、悪しからず、です。

今回も近現代史年表の穴埋めをもとに、
びっしりと学びました。

この授業は、あびこ平和ネット主催、全15回のシリーズ企画、
増田都子先生の社会科授業「近現代史の真実を知ろう」14回目です。

今回も15名程度の方々が参加して下さいました。有り難うございます。

●今月のおっどろき●
- 1947年9月20日 昭和天皇、マッカーサーにメッセージ
 「天皇の顧問、寺崎英成氏が、沖縄の将来に関する天皇の考えを
  私に伝える目的で、時日を約束して訪問した。
   寺崎氏は、米国が沖縄その他の琉球諸島の軍事占領を
  継続するよう天皇が希望していると、言明した。W.J.シーボルト」
  (『ジュリスト』938号より)

- 同日、
 「米国が沖縄その他の琉球諸島の軍事占領を続けるよう日本の天皇が
  希望していること、疑いもなく私利に大きくもとづいている希望が
  注目されましょう。合衆国対日政治顧問 代表部顧問 W.J.シーボルト」
  (進藤栄一論文『世界』1979年4月号により明らかになった)

今回の授業プリントも、天皇とその周辺の言動の事実が、
引用先を明記して、克明に記されていて、充実していた。

引用先は、『大東亜戦争全史』や『天皇と勅語と昭和史』、
『重光葵手記』、『侍従長の回想』、『天皇の玉音放送』
『昭和史探訪』、『マッカーサー回想記』、『敗北を抱きしめて』、
『(ハーバート ビックス)昭和天皇』『第4部内省なきその人生』、
『読売報知』『昭和天皇の終戦史』『資料日本現代史2』
豊下楢彦『安保条約の成立』、『朝日ジャーナル』
『陛下にささぐる書簡』『1941年12月8日』等、
どこでも手に入るものだが、増田先生の教材研究の積み重ねと凄みを感じた。


●授業プリント「近現代史年表」より、今後の資料として勝手に抜粋です。
 
- 1945年8月14日「終戦の聖断直後、...機密書類焼却の依命通牒が
 発せられ、市ヶ谷台上における焚書の黒煙は...16日まで続いた」
 (『大東亜戦争全史』)

- 同年9月18日 東久邇宮首相、外人記者団に語る。
 Q「民主主義国の一部では天皇陛下も犯罪者の一部と見ているが」
 A「天皇陛下は責任者でないと確信する。天皇陛下は事前にかかる事実
   (※真珠湾攻撃のこと)をお知らせしてなかった。」←嘘。

- 同年9月20日 藤田尚徳侍従長、天皇の使者としてマッカーサーを訪問
「吉田外相も...米内大将を通じてもGHQの考え方について
  情報を集めた。陛下の立場がどうなるか、これは国体護持
  という言葉で、終戦決定の最大眼目となった点である」
  (『侍従長の回想』講談社、1961年)

- 同年9月26日 哲学者の三木清、48歳で獄中死

- 同年10月1日 マッカーサーに、訴訟摘要書が提出される
 「それは、連合国軍最高司令官は天皇の名において行われた戦争
  について裕仁が実際に果たした役割を本気で調査する意思は
  まったくないことをはっきりと記していた。
   ...この文書は次の勧告で終わっている。
  a 占領を平和裡に行い、日本を復興し、革命と共産主義を予防
   するため、宣戦布告の実行およびその後の天皇の立場をめぐ
   って[天皇に対する]欺瞞、危険、ないし脅迫の存在を示す
   ような事実を、すべて揃えておくべきこと」
  (ジョン・ダワー『敗北を抱きしめて』岩波書店、2001年)

- 同年10月3日 山崎巌内務大臣
 「反皇室宣伝を行っている共産主義者は容赦なく逮捕する、
  天皇制廃止を主張するものはすべて共産主義者とみなし、
  治安維持法によって逮捕される」
  (小森陽一『天皇の玉音放送』五月書房、2003年)

- 同年10月4日 GHQ、治安維持法廃止・政治犯釈放、内務大臣・特高警察罷免、
 天皇制についての自由な論議を指令

- 同年10月10日 徳田球一、志賀義雄ら共産党の政治犯の釈放
 日本共産党「人民に訴う」発表 「天皇制打倒」スローガン

- 同年11月15日 幣原内閣、戦争責任に関する閣議決定。国民には秘密。
 @大東亜戦争は、やむをえざる自衛権を発動したもの ←何故自衛の為に侵略?国益って誰の益?
 A天皇は憲法上の慣例に従って政府や軍の決定を退けられたことがない。 ←嘘っしょ。統帥権は天皇にあり。
 B宣戦の詔勅は国民を対象とする内向的なもの ←なんじゃこりゃ。
 C真珠湾攻撃については大まかなことしか天皇は聞いておられなかった ←嘘

- 同年12月5日 近衛文麿に逮捕指令
 (副総理格で活動。昭和天皇に、戦争責任をとって退位させ京都の寺に隠遁させる計画を持つ)

- 同年12月16日 近衛、服毒自殺。
 「自分(※近衛)が法廷に出れば、ますます天皇の責任が明らかになる。
  これは法律上、統帥権が天皇にある限りは戦争するかしないかは
  天皇の判断にかかる。
   そうすればもう(※天皇は)死刑以外にないから、自分からは
  このことは絶対に言えない。自分はどうして支那事変を止める
  ことができなかったかと言えば統帥権だ。統帥権をたどれば
  天皇にいきつく。だから自分は法廷に出て弁解することはできないんだ」

- 同年12月28日 憲法研究会(高野岩三郎、森戸辰男、鈴木安蔵ら)「憲法草案」発表
 高野岩三郎の日本共和国憲法私案「天皇制は廃止し、大統領制にする。主権は国民にある」

- 1946年1月1日 昭和天皇「念頭の詔書」
 いわゆる「人間宣言」(GHQ発案で原案は学習院教師のプライスが作り、
 マッカーサーの承認を得て発表)
 「顧ミレバ明治天皇ノ初国是トシテ五箇条ノ御誓文ヲ下シ給ヘリ。
  ...朕ハ茲(ここ)ニ誓ヲ新ニシテ国運ヲ開カント欲ス。...」
  ↑
 「『朕ハ茲ニ誓ヲ新ニ...』という一節がある以上、この詔書は
  昭和天皇による国家統治の継続を「新ニ」宣言した文書になる。...」
  (『天皇の玉音放送』)
 
 この「人間宣言」を受けて、マッカーサーは「天皇は日本の民主化に
 指導的役割を果たそうとしている」と強調し、他の連合国、日本国民
 に昭和天皇には戦争責任はないと宣伝。

 「...人間宣言は裕仁とその側近による新たな挑戦であり、彼らは
  みずから『国民(ヒズ・ピープル)の民主化』を主導するどころか、
  天皇が成人して以来、ずっとやってきたように、民主化に制限を
  加えようとしたのである」
  (『昭和天皇』下)

- 1946年2月13日 GHQ、新憲法案を幣原内閣に提示。
 「これが受け入れられれば、天皇は安泰である」

 伊藤成彦氏によると、マッカーサーは「9条が天皇を救う」と繰り返した
 とのこと。

- 1946年3月6日 フェラーズ准将、米内光政に語る
 「自分は...連合軍の占領について天皇が最大の協力者である
  ことを認めている。...ところが困ったことに、連合国の
  或る国においては天皇でも戦犯者として処罰すべしとの主張
  非常に強く、...。右に対する対策としては天皇がなんら
  罪のないことを日本側から立証してくれることが最も好都合
  である。其の為には近々開催される裁判が最善の機会と思う。
  殊に其の裁判に於いて東条に全責任を負担せしめる様にする
  ことだ。...」
 米内「全く同感です。東条と嶋田に全責任をとらすことが
  陛下を無罪にする為の最善の方法と思います」
  (栗屋健太郎『資料日本現代史2』大月書店)

- 1946年4月29日 東京裁判国際検察局は28人の被告名を公表
  (天皇は含まれず)

- 1947年5月3日 日本国憲法、施行
- 1947年5月6日 第4回、天皇・マッカーサー会談
 「ここで天皇は第9条にも国連にもおよそ期待をかけてない
  かのように、その"本音"をうち出した。つまり『日本の
  安全保障を図る為には、アングロサクソンの代表者である
  米国が、其のイニシアチブを執ることを要するのであり
  まして、此の為元帥のご支援を期待して居ります』と
  事実上、アメリカの軍事力による日本の安全保障を
  求めたのである。
  ... 右の天皇の『要請』は米軍による安全保障の最初の
  構想と評されるこの『芦田書簡』に先だつこと四ヶ月以上
  も早いものであった、ということになる」
  (豊下楢彦『安保条約の成立−吉田外交と天皇外交』岩波新書、1996年)

- 1947年9月22日 昭和天皇の「沖縄メッセージ」
 (a)総司令部政治顧問シーボルトから国務長官宛の書簡
  主題:琉球諸島の将来に関する日本の天皇の見解
  
  国務長官殿 在ワシントン
  拝啓
   天皇のアドバイザーの寺崎英成氏が同氏自身の要請で...
米国が沖縄その他の琉球諸島の軍事占領を続けるよう
  日本の天皇が希望していること、疑いもなく私利に大きく
  もとづいている希望が注目されましょう。また天皇は、
  長期租借による、これら諸島の米国軍事占領の継続を
  めざしています。その見解によれば、日本国民はそれに
  よって米国に下心がないことを納得し、軍事目的のための
  米国による占領を歓迎するだろうということです。
     合衆国対日政治顧問 代表部顧問 W.J.シーボルト
              東京 一九四七年九月二十二日
 (進藤栄一論文『世界』1979年4月号より)

- 1947年12月31日 東京裁判で東条英機が証言
 「日本国の臣民が天皇の御意志に反してかれこれするということは
  あり得ぬことであります。いわんや、日本高官においておや。」
 裁判中、最も緊迫。キーナン主席検事はすぐ休廷を宣言。
 →その後、キーナン、田中隆吉、松平康昌、木戸幸一らの工作
  で、年明け1月6日、東条、証言を撤回。

- 1948年11月13日 ウエッブ(豪)裁判長、記者会見で語る
 「戦争を開始するに当たって天皇の演じた顕著な役割が検察
  によって提示されたが、検察側は同時に天皇は起訴しない
  ことを明らかにした。戦争開始には天皇の権威が必要であ
  り、もし、天皇が戦争を欲しなかったのであれば、天皇は
  当然その権威を留保するべきであった。天皇が裁判から
  免除されたことは疑いもなくすべての連合国の最善の利益
  に基づいて決定されたものである。」
  →「すべての連合国」という部分は、米国に対する皮肉。

●今後の予定●
第15回 8月31日(日)14時〜湖北台近隣センター(湖北駅南口)、
「戦争責任を考える」
第16回 9月27日(土)14時〜我孫子栄光教会(湖北駅南口)、
「サンフランシスコ条約と安保条約」

皆様ぜひ、いらして下さい。

皆さんのうちに平和がありますように、


豊田 義信 yoshinobu000-lj(a)infoseek.jp

平和つむぎブログ http://heiwa0.seesaa.net/
●祝 鎌倉市平和都市宣言50周年(日本初)●
●2010年 あんぽ条約50周年改定でなく平和条約でいこ●
posted by 風の人 at 08:18 | Comment(0) | TrackBack(2) | 一般
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