2008年06月13日

NHK番組改編訴訟 逆転敗訴

みなさまご存知のとおり、最高裁におけるNHK番組改編訴訟は、原告側(「戦争と女性への暴力」日本ネットワーク)が逆転敗訴しました。

NHK番組改編訴訟の最高裁判決及び東京高裁判決の全文は以下で読むことができます。

■最高裁判決(2008年6月12日)
http://www.courts.go.jp/search/jhsp0030?action_id=dspDetail&hanreiSrchKbn=02&hanreiNo=36444&hanreiKbn=01
■東京高裁判決(2007年 1月29日)
http://www.news-pj.net/siryou/2007/nhk-kousai_zenbun20070129.html

また、今回のNHK番組改編訴訟最高裁判決に関する新聞各社ニュース、社説、解説記事、ブログ記事、各資料などを参照するにはNPJの下記一覧が便利です。

■NHK番組改編訴訟ニュース・資料一覧
http://www.news-pj.net/siryou/saiban/index.html#anchor-nhk

上記を含めて今回の最高裁判決の評価について、印象に残った記事、解説、コメントの抜粋を以下に掲げてみます。よろしければご参照ください。

……………………………………………
■『司法の公正性に失望』 番組改変NHK勝訴 原告ら憤りや疑問の声
(東京新聞 2008年6月13日 朝刊)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2008061302000098.html

「NHKのドキュメンタリー番組をめぐる最高裁判決は、憲法が保障する「表現の自由」から導かれる「編集の自由」を重視、結果的に取材された側の期待や信頼と異なる番組内容になっても、違法ではないと判断した。/しかし、問題の本質は、最高裁が判断に無関係として言及しなかった「政治家の影響」にある。二審判決は、NHK幹部が国会議員に放送前の番組内容を説明した点を重視。幹部が議員の心中をおもんばかって改変を行っ
たと認定し、「NHKは編集権を乱用し、自ら放棄したに等しい」と厳しく批判した」

■番組改変問題 NHK逆転勝訴 『政治とメディア』消化不良
(東京新聞 2008年6月13日 07時05分)
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2008061390070550.html

「伊藤守・早大教育総合科学学術院教授は、判決が政治介入について判断しなかった点に関して「本質に答えていない。今回のような政治家の発言が問題ない、という方向に動いていってしまうのではないか」と憂慮。「メディアに対する国民の目が厳しくなっている中、NHKは、表現の自由や編集の自由に対する外部からの介入に対し、これまで以上に毅然(きぜん)とした対応が求められる」と指摘している」

「また、評論家・武田徹さんは「(番組改変問題の背景には)総務省が放送局の許認可権を持つ放送法体制があり、放送ジャーナリズム全体にかかわる訴訟だった。現状では放送局が政治家の意見に過剰に反応せざるを得ない面があり、公共財としての放送を守れるような制度設計になっていない。訴訟は放送局の自律について考える機会でもあったが、そこまで議論が深まらなかったのは残念」とし、「司法の問題に矮小(わいしょう)化してしまったマスコミ報道にも物足りなさを感じた」と語った」

■まれにみる稚拙で悪質な最高裁判決――ETV番組改編事件に対する最高裁判決へ
の論評(醍醐聰のブログ 2008年6月13日)
http://sdaigo.cocolog-nifty.com/blog/2008/06/etv_b991.html

「国民の知る権利に背く番組改編を憲法が保障した「表現の自由」の名の下に免罪した支離滅裂な判断/そもそも放送法第1条が定めた放送による表現の自由、第3条が定めた放送番組への干渉の排除、自律は今回の最高裁判決自身も指摘しているように、「国民の知る権利に奉仕する表現の自由を規定した憲法21条の保障の下にある」ものである。ところが、本件においてNHKが行った番組改編は、戦時性暴力の実態を伝えようと、被害者である「元従軍慰安婦」と加害者である元日本軍兵士が行った証言をカットするなど、国民が日本の戦争責任を考える上で貴重な意味を持つ証言を切り捨てる改編にほかならなかった。このように憲法21条の目的に反し、国民の知る権利を裏切る番組改ざんまで「表現の自由」を持ち出して免罪した最高裁裁判官の憲法と放送法解釈は稚拙というほかない」

「最高裁判決は政治介入と政治におもねるNHKの体質の免罪符にならない/今回の最高裁判決は先に記したように、本件番組改編への政治家の介入について全く触れていない。しかし、そのことから、NHKあるいは安倍晋三氏ら関係政治家の不当な介入が免罪されたとは到底いえない。今回の最高裁判決も、番組制作に直接かかわった永田恒三、長井暁の両氏が東京高裁法廷で陳述した政治家の数々の介入を裏付ける証言の証拠能力を否定したわけではないから、それらも踏まえて東京高裁が認定した政治家の介入、それを忖度した当時のNHK幹部の政治におもねる根深い体質は消せない事実として記録に残る。さらに、こうした政治におもねる体質を象徴したかのような当時のNHK理事の「政治家への番組の事前説明はNHKの日常業務」という発言についてNHKは今なお、公式に非を認めていない。であれば視聴者は、こうした政治におもねたNHKのジャーナリズムとしてあるまじき行為を長く記憶にとどめ、NHKの優れた番組には激励を送る一方で、政治に弱いNHKの体質を厳しく監視し、視聴者主権の公共放送の実現を目指す行動を続けていく必要がある」

■NHKの全職員が問われている
(ソウル・ヨガ(イダヒロユキ)ブログ 2008年06月13日)
http://blog.zaq.ne.jp/spisin/article/503/

「私は、大事な点を無視したという点でこの判決はおかしいといいたいが、もう一点、強く述べたい点がある。/それは、この番組の製作にかかわっていたNHK職員および下請け会社の関係者の責任および、製作に関わっていなかったが、すべてのNHK職員の責任についてである。/まず、町永アナウンサーをはじめとして、編集者、その他、NHKには、下請け会社からあがってきた「放送前の作品」の内容を知っている人がいる。それが、
急に、NHK上司の圧力によって、結果として「放送された作品」に変えられてしまった。/これを知っているものはすべて、本当のことを発言し、改ざんを批判する責任がある。だが、長井暁プロデューサーなどNHKの2人の職員以外は、NHK職員は口をつぐんでいる。これは、犯罪に加担しているという行為に等しい。/勇気をもって真実を話すことができないというような組織でいいのか。そんなことをする自分でいいのか。真実を言ったものを孤立させるようでいいのか。/一人一人の、生きる水準、自分の〈たましい〉に向き合う態度、に関わっている。その人の生きていく上での座標軸がどこにあるかという問題だ。/そこが問われている。」
……………………………………………

東本高志
posted by 風の人 at 15:33 | Comment(0) | TrackBack(0) | 一般
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]


この記事へのトラックバック

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。